最近、阪神高速道路の工事現場撮影でよく訪れる喜連瓜破。
この近くには「喜連西池前」というバス停や「喜連西池」という交差点があり、ここの周辺から高速の工事内容を撮影することが多いのですが、ふと私は気づいてしまったのです。
…「喜連西池」という池はどこにあるの?
ざっとネット調べてみても見つからず、「喜連西池」という地名もなさそう(周辺地名は喜連西・瓜破西)ですし、ましてや池なんて全然見つかりません。
池前というバス停名なのに池がない、この不思議さが少し気になったのとネットにまだ情報がないということもあって、詳しく調べてみました。
喜連西池へ
喜連西池前は、喜連瓜破駅から西に500m程度いった場所にあります。ちょうど平野警察署があるあたりです。
いつもこの歩道橋から阪神高速道路の様子を撮影しています。
冒頭でも書いたように、マップで調べてみても池らしきものは何もありません。
ちょうど近かったこともあって、道案内のプロである平野警察の方に聞いてみました。
「喜連西池ってどこにあるんですか?」
警「喜連西池前はすぐそこですよ」
「いえ、そうではなくて喜連西池という池はどこに…?」
警「言われてみれば、池ってないですね…どこだ…?」
【悲報】警察の方でもわかりませんでした
歴史を振り返る
ということで、これは歴史絡みの話になるな…?と思い、昔の地図を引っ張り出してきました。

1948年当時の航空写真。
何もなさすぎて現在の航空地図とめちゃくちゃ比較しづらいのですが、今川の存在と大阪金属工場(ダイキン、現在の瓜破中学校)が特徴的な斜め配置になっているのでなんとかわかるかなというところ。
図示したところが水の溜まり場っぽく見えることから、ここが喜連西池でしょうか。
余談ですが、この当時喜連は大阪市になっていたものの、瓜破はまだ中河内郡に属する村でした。

1964年の航空写真。わかりやすいよう谷町線と阪神高速道路を合わせて図示しました。
先程水の溜まり場だった喜連西池と思われる部分が、埋め立てられているように見えます。
近隣には規則的に並ぶ建物、喜連住宅(団地)が見えることからも、やはりこの位置が喜連西池で間違いなさそうです。
で、この位置が今何になっているのかというと……
いやさっきの警察署か~い!!
正確には平野警察署・消防署・障害者施設など大阪市関係の建物や、商業施設(ライフ)として活用されていました。
厳密な西池の範囲は、消防署~平野警察署~阪神高速~ブックオフ喜連瓜破店の範疇でした。
後述しますが、1923年までは株式会社KCC・国道309号線・ガソリンスタンド・障害者施設までもが西池だったようです。
大正11年(1922年)に書かれた文献によると、「西池」と称される池の詳細は以下の通りだったそうです。
西池
所在地:池ノ浦二三三六
形態:長方形
面積:八町九歩(=79338.37㎡)
水深:五尺
水質:淡水
水草:葦
魚:鯰(なまず)、鰻、鯉、鮒(ふな)、泥鰌(どじょう)等
また1927年には西池の範囲が狭まり(埋め立て?)、東半分のみとなりました。
これだけ広大な土地が全て池だったとは……そりゃバス停の名前にもなりますね。
ちなみにこのバスがいつ頃から運行されているのかはわかりませんが、先程の航空地図を鑑みるに1949年~1963年の間には既に運行されていたものと推測されます。
【追記】
大阪市バスに詳しいマツダさんによると、1960年に58号系統(あべの橋~喜連住宅前)内に新設されたバス停なのだそうです。
また、この記事のアップ後にもう少し調べてみたのですが、「西池」の表記があったのは1956年、消えるのは1967年の地図からでした。
バス停が登場したのが1960年ですから、「西池」と「喜連西池前バス停」は1960~1967年の間だけ併存したことになります。
つまり「バス停は池があった時代に出来たのでこの名前だけど、いつの間にか埋められてバス停名だけが残った」というのが今回の検証結果ということになります。
まとめ
ということで、「喜連西池」は喜連西池前バス停の目の前にあったというのが今回の結論です。
何故なくなったのかまではわかりませんでしたが、少なくともちゃんと「喜連西池」という池は存在していました。
また高速道路の動きがあった際には訪れる予定ですが、喜連西池に少し思いを馳せてみたいと思います。
関連リンク
参考文献
大阪府東成郡「東成郡誌」、大正11年