大阪市を構成する24の区。
それぞれ個性豊かな行政区を作っており、大阪メトロは基本的にこの区域の移動需要を満たすべく作られたものです。
別件で区名を調べている際、「その区の他の候補名」が意外と多くあることに気づいたので、今日はその他の名称候補を記載しました。
市域外にお住いの方へわかりやすいよう、区を通る大阪メトロ路線についても記載しています。
1989年成立
1.中央区
オフィス街・文教地区の東区と、繁華街で賑やかな南区、性格が全く異なる二者の合併で誕生した最も新しい区。「東区及び南区の合区に関する条例案」に基づいて設置されました。
他の区名候補については、中区、東南区、御堂区、大阪区などがありました。
東区のエリアは御堂筋線淀屋橋~心斎橋間、谷町線の天満橋~谷町六丁目間、中央線の本町~森ノ宮間、堺筋線の北浜~長堀橋間、長堀鶴見緑地線の心斎橋~大阪ビジネスパーク間と非常に多数の駅がありました。
一方、南区のエリアは千日前線なんば・日本橋、堺筋線日本橋、長堀鶴見緑地線の心斎橋~谷町六丁目間だけとかなり小さなエリアでした。
1974年成立
2.平野区
平野区の名称の由来は区役所が置かれている地名から。「平野郷」の名称は古くから見られるものです。
谷町線の平野・喜連瓜破・出戸・長原が該当します。
他の区名候補としては、大和川区、南住吉区、長吉区がありました。
特に大和川区は最後の最後まで候補として残り、驚くべきことに1票差で平野区に決定した経緯があるそうです。
3.住之江区
ニュートラム全線と、四つ橋線の住之江公園・北加賀屋・玉出、中央線のコスモスクエアが該当します
他の区名候補としては、西住吉区案がありました。
住之江競艇・住之江公園など、既にこの区域を指す地名として「住之江」の地名が定着していたことから、この案を撤回。住之江の字が採用されることになりました。
4.淀川区
淀川の区名は、文字通り淀川に隣接することから付けられています。駅としては、御堂筋線の西中島南方・東三国・新大阪が該当します。
他の区名候補としては、中淀川区、十三区がありました。
淀川という地名から「西淀川・東淀川を分区した元」と思われがちですが、実際は両区から分離した最も新しい「淀川区」になります。
5.鶴見区
長堀鶴見緑地線の鶴見緑地・横堤・今福鶴見が該当します。
他の区名候補としては、放出区・茨田区がありました。
鶴見区の由来は、鶴見区公式サイトによると以下のように記述されています。
鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野で巻狩(四方から狩場を囲んで獣を捕らえる狩り)をしたときに、千羽の鶴に金の短冊をつけて放したところ、この地に飛来して住み着いた。その鶴を見物にくる人が多く、「鶴見」という呼び名がついたという言い伝えがあります。
出典:鶴見区「区名、地名の由来」
1943年成立
6.東住吉区
谷町線の田辺・駒川中野が該当します。
他の候補はなく、むしろ当時の集落であった平野・田辺・今川地域のどこから名前を採っても不平等になるので、優先的に名称が決められた経緯があります。
7.阿倍野区
御堂筋線の西田辺・昭和町、天王寺、谷町線の阿倍野・文の里が該当します。(谷町線の天王寺駅は範囲外です)
他の区名候補としては、住吉区がありました。
これは住吉区から分区する際に、住吉区役所が阿倍野区域にあったことが理由ですが、反対運動によりこれが撤回され、阿倍野の名前に落ち着きました。
阿倍野の由来は、はっきりとしていません。
8.生野区
難読地名として知られる生野の由来は、「生野長者」というお金持ちが住んでいたことによります。駅としては千日前線の小路・北巽・南巽が該当します。
他の区名候補としては、鶴橋区、大東区、勝山区、昭和区などがありました。
特に鶴橋は、当時の区内で最も大きな面積を持っていたことから「鶴橋区」の名称を推していたようですが、区を作ったのが戦時(1942年)で「なるべく従来の地名を踏襲し、区名で簡単に場所がわかる」ことが条件だったので、却下されたようです。
9.福島区
福島の由来は、菅原道真が太宰府へ行く際にこの地に立ち寄り、地名を福島と名付けたとされています。
他の区名候補は明らかになっていません。
駅としては、千日前線の野田阪神、玉川が該当します。
10.都島区
谷町線の都島、野江内代、また意外なところでは長堀鶴見緑地線の京橋駅も都島区です。
他の区名候補としては、桜宮区がありました。
「都島」の名前は、だいどう豊里あたりにあった大隅神社あたりが、かつて応神天皇の別荘地であったことから、その向かい側にある島で宮向島→都島になったという説があります。
11.城東区
城東の由来は、文字通り城(大阪城)の東側にある為です。
他の区名候補は明らかになっていません。
駅としては、谷町線の野江内代・関目高殿、長堀鶴見緑地線の今福鶴見・蒲生四丁目、今里筋線の新森古市・関目成育・蒲生四丁目・鴫野・緑橋、中央線の深江橋など、かなりの地域が該当します。
1932年成立
12.大正区
長堀鶴見緑地線の大正駅が唯一該当する駅です。大阪24区の中では最も人口が少ない区域になります。
他の区名候補としては、大正橋区、新港区、三軒屋区、木津川区、泉尾区がありました。
大正区は当初案の有力候補だった「大正橋区」から採られたもので、長過ぎるということで橋を削って大正区となりました。
13.旭区
谷町線の太子橋今市、千林大宮、関目高殿、今里筋線の新森古市、清水、太子橋今市が該当します。
他の区名候補としては、南淀川区、城東区、城北区がありました。
縁起が良いもののどこかぼんやりとした名前ですが、これは「日の出ずる東部」「旭日昇天の勢いで将来の発展が約束される」という、いわば瑞祥地名が用いられたことによるものです。
瑞祥地名とは
縁起が良かったり、めでたい意味の言葉をそのまま使ったり、創作されたりした地名のこと
元地名とは全く関係がない場合が多いですが、これは特定地名を採用することで、採用されなかった他の土地と遺恨が残る(揉める)のを避けるための措置です。
1925年成立
14.住吉区
住吉の由来は、歴史ある神社「住吉大社」から採られたものです。
他の区名候補としては、阿倍野区がありました。
つまり住吉区は阿倍野区を、阿倍野区は住吉区を希望していたことになります。
もう交換したらどうでしょう
成立当時は大阪市で最も大きい行政区でしたが、後に東住吉区、平野区、住之江区を分区し、かなり小さくなってしまいました。
御堂筋線の長居、あびこが該当します。
15.西成区
西成の由来は、奈良時代に上町台地の西側を「西生(にしなり)」と読んだことに由来します。近代でも「西成郡」という大きなくくりの名前として機能していました。
他の区名候補としては、住江区、今宮区、玉出区がありました。
当時、域内の二大勢力だった今宮と玉出で区名バトルが起こりそうだったことや、元々大阪にあった旧郡名「西成郡」を残したいという想いから、西成が採用されました。
駅としては、御堂筋線動物園前、四つ橋線花園町、岸里、玉出の他、堺筋線動物園前、天下茶屋も該当します。
16.天王寺区
谷町線の天王寺、四天王寺前夕陽ヶ丘、谷町九丁目、千日前線の谷町九丁目、鶴橋が該当します。
ここは聖徳太子以来の四天王寺という由緒ある建物が長くあったこともあり、珍しく他の区名候補が全く出ませんでした。
17.浪速区
区域面積は一番小さいですが、なんば駅を筆頭に、御堂筋線・四つ橋線の大国町駅、御堂筋線・堺筋線の動物園前駅、堺筋線日本橋駅、恵美須町駅などが該当します。
他の区名候補としては難波区がありましたが、難波は「なんば」と「なにわ」とで誤読を招くこともあり、かなり反対意見が強かったようです。
18.此花区
此花区の名前は、古い百済人である「王仁」が詠んだとされる難波津の歌「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」から採られたものです。
他の区名候補としては、玉川区・福島区・朝日区、野田区・四貫島区などかなり多くの候補があり、かなり揉めたそうです。
現在は大阪メトロの駅が存在しませんが、2025年1月に初の駅となる中央線の夢洲駅が開業します。
19.東淀川区
東淀川区の由来は、淀川流域にある区であることと、西方に設置された西淀川区との相対関係によるものです。
他の区名候補としては、上淀区、中島区、長柄区がありました。
駅は今里筋線の井高野、瑞光四丁目、だいどう豊里駅が該当します。
20.西淀川区
西淀川区の由来は、淀川流域にある区であることと、東方に設置された東淀川区との相対関係によるものです。
他の区名候補としては、下淀区、姫島区がありました。
区内に大阪メトロの駅はなく、夢洲駅開業後は唯一大阪メトロが通らない区となります。
大阪シティバスの「福町」という行先をご覧になった方もいらっしゃると思いますが、その福町が西淀川区になります。
21.東成区
東成区の由来は、西成と同様に上町台地の東側に位置することを意味しています。
他の区名候補としては、城東区がありました。
駅は中央線・今里筋線の緑橋、今里の他、千日前線の鶴橋、今里、新深江が該当します。
22.港区
中央線の弁天町~大阪港間が該当します。
他の区名候補はなかったようです。
これは国際交易が船で行われていた時代で、大阪の海の玄関口として繁栄・発展を遂げ、初めての市電も通るほどの盛況ぶりを見せていたことから、異論が出なかったようです。
1879年成立
最初の大阪市を作った偉大な4区。
当初のまま現存するのは西区のみで、北区は大淀区を合併しつつ残っています。
北区
西区
東区(南区と合併して中央区に)
南区(東区と合併して中央区に)
この4区に関しては、江戸時代にあった町割りの名残と相対的な方角関係で命名されたこともあり、他の候補があったという記録は残っていません。
江戸時代の大阪市は、北組、南組、天満組という分け方がなされていました。
北限は天満、南限は谷町九丁目あたりと、今から見るとかなり狭いエリアでした。
一時期は第一大区、第二大区という呼ばれ方もしたようですが、すぐにこの東西南北区の名称に落ち着きました。
無くなった区
東区と南区は合併で別の名称になりましたが、唯一吸収合併されて消滅したのが「大淀区」です。東淀川区や西淀川区、北区からの分区で生まれました。
現在の御堂筋線中津駅、谷町線・堺筋線の天神橋筋六丁目駅周辺になります。
他の区名候補としては、長柄区、豊崎区、中津区がありました。
大淀区は名称決定にかなり揉めたとされており、「分区元となった東淀川区こそ名前を考えろ!」とまで言う事態になりました。
この際、区名変更に反対していた「大淀会」という団体名からヒントを得て諮問したところ、大きく同意を得ることとなり、すぐに決まった…というエピソードがあります。
関連リンク
参考文献
各区の区史より