2005年から2024年までの19年間、近世の大阪市営地下鉄・大阪メトロを、私はファンとしてたくさん撮影してきました。
もし私が死んだらこういった写真はおそらく破棄され、二度と日の目を見ることはないでしょう。私も今、歴史調査の為に古写真を調査・研究することが増えています。つまりそれは先人が残してくれた資産を享受しているということに他なりません。
私もまた、次代に続いていく大阪メトロファンの為に、今しか記録できない写真をしっかりと残してしっかりと公開していくべきだと考えるようになりました。そのような思いから、今回このような特集を組み上げました。しばらく長期シリーズで掲載していく予定です。
当サイトをよくご覧いただいている古参な方には何度か見た写真かもしれませんが、ご容赦頂ければと思います。
Osaka-Subway.com Author:207
第13回は「突然の谷町九丁目行き」をお届けします。
(バックナンバーはページ下部に記載しています。)
谷町九丁目駅にて
2010年3月29日の明朝1時45分頃。
夜間の保線作業中、文の里→阿倍野間にある光ケーブルに保線作業車が接触。
6本のケーブルを誤って切断した影響で、文の里以南のポイントや列車制御装置が全てダウンしてしまいました。
この影響で、普段よほどのことがないと行わない「異常時運転計画」が発動。
八尾車庫の電車が動かせないことから、大日にいる電車のみでの運用を余儀なくされ、始発から谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘~八尾南間で運休しました。
折り悪く、谷町線南側の折り返し駅は文の里・喜連瓜破しかないことから、運行可能な最南端駅であった谷町九丁目駅北方にある渡り線(ポイント)を用いて、大日~谷町九丁目間で折り返し運転が行われました。
民営化した現在でこそ区間折返しなど柔軟な運用が取られますが、公営のこの当時は「とにかく全線運休」といったスタンスが強く、イレギュラーな途中折返しの運用は異例中の異例でした。
谷町九丁目駅の1番線に到着する22607F。1番線に大日行きが到着するのは非常に珍しい光景です。
方向幕は谷町九丁目がないので、白幕となっています。
本来八尾南行きの列車が到着するホームに「大日」の文字が表示されています。
この日運用に入っていたのは22系(22601,22607、22663、22619F)と30系(3045、3049、3060F)。
30000系も既にデビューしていましたが、この日は運用に入りませんでした。
2番線ホームは電車が入らないことから、タイガーロープで簡易的に締め出しが行われていました。
違う駅の様子
谷町六丁目
1つ隣の谷町六丁目駅。
ホーム幅の関係でややコンパクトな発車標が用いられていますが、ばっちり「谷町九丁目」の表示に対応。
30系が白幕で到着している様子。
谷町六丁目駅の発車標で見る、谷町四丁目に停車中の谷町九丁目行き。ここまで谷町まみれになる事態は初めてです
22601Fによる谷町九丁目行きが到着。
方向幕すらないので、車内LEDも流石に非対応でした。
谷町四丁目
谷町四丁目駅。こちらは初期につけられた発車標で、他の駅と異なり大型タイプが用いられています。
天満橋
続いて天満橋駅の様子。こちらは純正サイズの発車標で、谷町九丁目の表示も余裕があります。
ちょうど朝ラッシュに被る時間ということもあり、車内は満員でした。
写真に写る30系60編成はちょうど引退直前(この日に廃車回送)で、本人もまさかのトラブルにびっくりしてそうですね(笑)
アルミ車の30系45編成。22系・30系どちらもある程度撮影したので、これで撤収しました。
事故処理は9時10分まで続き、大きく影響が出たのでした。
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