大阪の北部を走る北大阪急行。
2025年現在の運賃は初乗り100円、2016年以前は90円という日本一安い運賃を維持しています。
この理由としてよく言われるのが
1970年万博時の輸送で建設費用118億円の借入金を全て返したから、運賃が安いまま維持されている
というお話。
しかし当時を振り返った文献によると、この話は半分正解・半分誤りで、万博後からスムーズにいった訳ではなく、苦しんだ時期もあったようなのです。
過去を振り返る
確かに、1970年度は万博輸送の特需で大きく利益が出たことにより、建設にあたっての債務は一掃出来ました。
しかしその後は、需要もない千里丘陵へ空気を運ぶだけと低迷し、再び赤字が積み上がるようになりました。
当時の営業成績をグラフにすると以下の通り。
期間 | 収入 | 支出 | 利益 | 繰越金 |
---|---|---|---|---|
1970年度 | 2,296,714 | 1,854,975 (内法人税233,000) |
441,738 | 328,753 |
1971年度 | 900,592 | 1,668,762 | ▲768,170 | ▲439,417 |
1972年度 | 1,339,667 | 1,467,677 | ▲128,010 | ▲567,427 |
1973年度 | 1,274,277 | 1,448,407 | ▲174,130 | ▲741,557 |
1974年度 | 1,490,360 | 1,621,378 | ▲131,017 | ▲872,574 |
確かに、利益が出ているのは70年度だけで、残りは赤字(▲)が続いていますね。
この当時を回顧された北大阪急行の総務課長である小寺氏によると、以下のような状況であったとされています。
当時のことで鮮烈に覚えているのは、万博が終了したあとの通勤風景です。新大阪で乗り換えて通っていたのですが、それまでは満員だったのが万博が終わった途端に一両に数人の乗客しかいない有様、暗たんとした気分になりました。社員の士気も落ちていました
出典:1)
2代目社長の名采配
この状況を鑑みて、親会社である阪急電鉄から出向したのが、当時の副社長であった白水 半次郎(しろうず はんじろう)氏です。
1971年11月に北大阪急行電鉄の第2代目社長に就任後、赤字だった北急の立て直しに着手されました。
白水氏は
・支出抑制などの経営合理化
・新駅「緑地公園駅」の設置
・不動産事業「桃山台グランドマンション」
・「豊中市待兼山町の戸建事業」
などを行った上で、当時の運輸省へ運賃改定を働きかけて実現したことで、1975年度に初めて黒字転換が実現しました。
収入 | 支出 | 利益 | 繰越金 | |
---|---|---|---|---|
1975年度 | 1,862,000 | 1,747,000 | 115,000 | |
1976年度 | 1,863,000 | 1,745,000 | 118,000 | |
1977年度 | 2,227,000 | 1,668,000 | 559,000 | |
1978年度 | 2,535,000 | 2,332,000 | 203,000 | |
1979年度 | 2,291,000 | 2,026,000 | 265,000 |
1978年には積み上がってきた累積損失(借金)を一掃。
1979年度決算で、ついに配当を行えるようになりました。
結論
つまり、冒頭に書いた
1970年万博時の輸送で建設費用118億円の借入金を全て返したから、運賃が安いまま維持されている
というのは少し誤りで、正しくいうと
1970年万博時の輸送で建設費用118億円の借入金を全て返し、かつその後の経営合理化や不動産事業への進出など、経営努力のおかげで運賃が安いまま維持されている
と言えるでしょう。
実際、1970年当時の「初乗り運賃30円」は大阪市交通局や阪急電鉄と同じ水準で、特段安いという訳ではありませんでした。
初乗り運賃の推移についてまとめるとこんな感じです。
年度 | 北大阪急行 | 大阪市交通局/ 大阪メトロ |
阪急電鉄 |
---|---|---|---|
1970年 | 30円 | 30円 | 30円 |
1974年 | 40円 | 50円 | 40円 |
1986年 | 50円 | 140円 | 90円 |
1989年 (消費税3%) |
60円 | 160円 | 100円 |
1995年 | 80円 | 180円 | 150円 |
1997年 (消費税5%) |
80円 (2区以降値上げ) |
200円 | 150円 |
2014年 (消費税8%) |
90円 | 180円 | 150円 |
2017年 | 100円 | 180円 | 150円 |
2019年 (消費税10%) |
100円 (2区以降値上げ) |
180円 | 160円 |
2024年 | 100円 | 190円 | 170円 |
最も差が開き始めるのは1986年。
元々同じ公営の大阪市交通局とは90円、民営の阪急でも40円の差がつくようになりました。
万博後に低迷した70年代において、労使が一体となって実施した努力によるものが大きかったと言えそうですね。
経営難に見舞われてからまもなく50年。
現在の北大阪急行は、当初の悲願であった箕面までの延伸を実現し順風満帆のようですが、過去にはこんな遭難もあったことをご紹介しておきます。
関連リンク
参考文献
- 北大阪急行電鉄「北大阪急行電鉄50周年」