御堂筋線で採用されている18の駅名の由来を、ざっくりと調べてみました。
なかもず
1987年開業。1912年に先行開業していた南海電鉄の駅名に合わせたもの。
難読漢字という観点から、開業時から路線案内上は「なかもず」とひらがな表記となっています。
この一帯は「百舌鳥(もず)」という地名で、仁徳天皇がお墓の場所を作る際にあったこのエピソードに由来します。
河内の石津原(いしつのはら)に出向いて陵の造営場所を決め、工事をはじめたところ、突然、野の中から鹿が走り出てきて、工事の人たちの中に飛びこんで倒れて死んだ。不審に思って調べてみると、鹿の耳から百舌鳥が飛び出し、鹿は耳の中を食いさかれていた。このことから、この地は百舌鳥耳原と呼ばれるようになった。
1919年まで「中百舌鳥村」が管轄しており、ここに南海が駅を作ったので中百舌鳥駅と称されました。
ちなみに、中百舌鳥村の近くには西百舌鳥村や東百舌鳥村もあったので、場所がずれていたら「西百舌鳥駅」とかになっていたかもしれません。
新金岡
1987年開業。駅名は「新金岡町」の町名から。
元となる金岡町は、平安時代の画家「巨勢金岡(こせのかなおか)」から採られたものとされています。死後に金岡神社として祀られました。
それ以外にも、堺の鉄砲文化を作り上げる源流となった、鋳造・鍛冶を行う「金屋」の町で、金物のカスが田んぼから出てきたことから「金田」になったという説もあります。
北花田
1987年開業。こちらも「北花田町」の町名から。
油の採取の為にアブラナ・エゴマなどの栽培が行われ、その花が非常に美しい風景から「花田」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、「南花田」も存在します。
あびこ
1960年開業。正式名称は我孫子。
難読漢字の為、おそらく昭和50~60年頃のサインシステム制定時、もしくはなかもず延伸時あたりから、路線案内では「あびこ」のひらがな表記で統一しています。
依羅吾彦(よさみのあびこ)という豪族が住んでいたことや、それに由来した我孫子観音から、周辺の地名として「依網」「吾彦→我孫子」が定着しました。
あびこに関しては村名というわけではなく、付近一帯は元々「依羅村」という名称でした。
1925年に大阪市へ編入され、依網の字が抜けた「住吉区我孫子」が町名となりましたが、同じタイミングで大阪市営地下鉄計画が立てられ、駅名構想に新しい町名となった「我孫子」の名が採用され、正式採用となっています。
長居
1960年開業。当時の「長居町」の町名から。先行開業していた阪和線の長居駅に合わせる意図もあったとみられます。
長居の由来は、このエリア内にあった大きな池が「長居池」と呼ばれたことに由来しています。
ちなみに阪和線の長居駅は元々、駅前にあった寺院から採られた「臨南寺前」と名乗っていました。1944年に現行の駅名へ改称されています。
西田辺
1952年開業。「西田辺町」の町名から。
田辺の地名は阪和線(南田辺)・谷町線(田辺)・近鉄南大阪線(北田辺)にも広がるほど広大なエリアで、この周辺一帯の有力な集落名でした。
田辺の由来としては、奈良時代に存在した豪族「田辺氏」から来ているとされています。
昭和に入るまでは大阪市から見た郊外というエリアで、将棋の名人「坂田三吉氏」はこの地で亡くなりました。
昭和町
1951年開業。駅名は「昭和町」の町名から。
構想時は駅名に「阿部野」が予定されていました。
1929年(昭和4年)に区画整理して誕生した新しい街で、当時の新元号であった「昭和」の名前を冠したことに由来します。
ちなみに近隣にある「美章園」も同じような経緯から誕生した、新しい街です。
天王寺
1938年開業。当時から運行上のターミナル駅として構想され、折り返しが出来るように2面3線の大型ホームとして開業しました。
1899年に、大阪鉄道(国鉄の源流となった私鉄)が、湊町(現在のJR難波)~柏原間開業時に設置したのが始まりです。そこから阪堺電車、大阪環状線、阪和線、そして御堂筋線・谷町線の駅ができ、南の一大ターミナルとなりました。
天王寺の名前は聖徳太子が建立した「四天王寺」から来ているもので、「天王寺区」の区名制定時に全く揉めなかったというほど、このエリアの伝統的な名称として君臨しています。
動物園前
1938年開業。駅名は言うまでもなく、天王寺動物園の前に位置することから。
当初は「南霞町」「天王寺公園」が駅名構想にあったものの、駅完成の直前に「動物園前」へと決定した経緯があります。何があった。
大国町
1938年開業。当時の町名「大国町」に由来。
大国とは、この近くにある大国主神社に祀られた大阪七福神の大国主命(大黒天)から来ています。
難波
1935年開業。駅名は周辺の地名「難波新地一番町~六番町」、および1885年に先行開業していた南海電鉄に合わせたものです。
難読漢字の為、おそらく昭和50~60年頃のサインシステム制定時、もしくはなかもず延伸時あたりから、路線案内では「なんば」のひらがな表記で統一しています。
南海の駅名は当時あった「難波新地」から来ているものと思われますが、「難波」自体の語源はこのあたりがまだ海岸線だった時代、「難儀な波が押し寄せる場所」という意味で名付けられたのだそうです。
浪速も同じで、波が速かったことからとされていて、どちらにしても「波が速い・荒い」場所であったようです。
心斎橋
1933年開業。大阪で初めて地下鉄が出来た由緒ある駅です。
駅名は当時架かっていた「心斎橋」から来ているもので、この橋を岡田心斎さんが架けたことに由来しています。
本町
1933年開業。心斎橋と同じく、大阪で初めて地下鉄が出来た由緒ある駅で、シンプルな名前の割には謎が多く、今回唯一由来がわからなかった駅名です。
江戸時代の大阪を「北組」「南組」に分けていた本町通から来ているのは確かなんですが、その「本町」がどこから来ているのかが今一つはっきりしません。
場所柄「船場」という駅名の方がブランド力もありそうなのですが、何故か駅名としては採用されませんでした。
淀屋橋
1933年開業。こちらも心斎橋と同じく、「淀屋」という超お金持ちが架けた橋の名前から。
心斎橋は個人名でしたが、こちらは屋号(企業)名となっています。
梅田
1933年開業。このあたりから水っぽい地名が多くなってきます。
ここ一帯は低湿地帯で淀川が何度も反乱を起こすことから、豊臣秀吉が命令してここを埋め立て、田んぼにさせました。
このことから、埋めて出来た田=「埋田」となりました。
流石に字面が悪いということで、江戸時代に字面の良い「梅」を採用し、現在に至っています。
中津
1964年開業。駅名はかつてあった中津町からですが、その中津町の由来はこの近辺を通っていた中津川から採られたものです。
更にこの「中津川」の由来は、堀江川と神崎川という2つの川の間(=中の津)を流れる川だからという説が有力です。
中津川自体は、1910年の新淀川開削工事によって消滅しました。
西中島南方
1964年開業。御堂筋線はここから地上に上がっていきます。
西中島と南方は別の地名で、地名を2つくっつけた「複合駅名」が大阪市営地下鉄で初めて採用されました。
ここは元々「南方駅」と予定していましたが、
・西中島側がかなり反発したこと
・1964年の東海道新幹線開業に間に合わせねばならなかった
ことから、折衷案としてこの名前が採用されました。
西中島は、神崎川・大川に挟まれて島となっていた場所(中島)の西端部であることを指していて、南方は「南の潟(川の南岸)」から採られたものと、どちらも川が由来の名前となっています。
新大阪
1964年開業。これは疑いようがなく、東海道新幹線の駅名「新大阪」に合わせたものです。
新幹線側の由来としては、大阪が既に密集地であることや、将来の山陽方面への直通を鑑みて、大阪駅とは別の位置にある新しい駅という理由から名付けられました
新幹線計画がまだなかった構想時の名前は「宮原町」でした。
東三国
1970年開業。
摂津国、河内国、和泉国の三つの国(現在の大阪府北部、東部、南部)に接していた川が「三国川」と呼ばれ、その川にあった三国島という場所から来ているそうです。
町名としては、阪急宝塚線の駅に「三国」が採用されたことがきっかけとなって成立していて、東三国の他に「西三国」や「三国本町」という町名もあります。
ちなみに新幹線計画の元となった「弾丸列車構想」ではこちら側に新駅「新大阪」を設置予定でした。
江坂
1970年開業。元々「榎坂」と呼ばれていましたが、これは東寺の荘園(お寺が持っている土地)の名前です。
開業時の大阪市営地下鉄の構想図にも、「榎坂」という名称で記載があります。
明治の時期になって一度「榎阪」としたものの、昭和の大合併時に榎を江に変え、更に阪を坂に戻し今に至ります。
関連リンク
参考文献
- 堺市北区『地名のあれこれ』、2012年12月19日
- レファレンス協同データベース『住吉区我孫子(あびこ)町の町名の由来について知りたい。」
- 阿倍野区『阿倍野の地名・町名の由来』、2014年3月25日
- 淀川区『区の町名の由来』、2009年10月23日