日本初の首都「難波宮」跡に行ってきました

日本初の首都「難波宮」跡に行ってきました

日本初の首都といえば京都…ではなく、なんと大阪にあったのをご存知でしょうか。

有名な「大化の改新」の際、当時の孝徳天皇によって「難波宮は日本の都である」と初めて明記され、日本中に布告されたのです。

【改新の詔 原文】
罷昔在天皇等所立子代之民處處屯倉及臣連伴造國造村首所有部曲之民處處田莊。
初修京師置畿內國司郡司關塞斥候防人駅馬傳馬及造鈴契定山河。
初造戶籍計帳班田收授之法。
罷舊賦役而行田之調。

【現代語訳】
1:それまで、天皇の一族のために設けられた民や、豪族たちが支配していた人々や土地が全国にあったが、それらを廃止した。
2:初めて京師(都)を整備し、周辺に畿内を定め、国や郡には役人を置き、関所・見張り・防人・駅伝馬などの制度を整備した。さらに、公的な証文や命令に使う「鈴」や「契」も整え、山や川の境界も決めた。
3:あわせて、戸籍や土地台帳を作り、田んぼを人々に割り当てる「班田収授」の仕組みもはじめた。
4:こうして、以前の重い税や労働の義務は廃止され、田んぼの広さに応じて税を納める新しい制度が始まった。

それまでは、なんとなく「天皇の居場所が都じゃね?」ぐらいのノリで、天皇の居場所によって都が変わり続けました。

例えば初代天皇といわれる神武天皇は橿原市に居たようですし、その後も桜井市や御所市などを転々としていました。

法的に初めて「ここが都である!」と宣告したのが、今回ご紹介する難波宮なんです。

…前置きが長くなりましたが、有名な平安京や平城京よりも更に先輩である難波宮を、今日はご紹介します。

 

 

まずは博物館から

場所は谷町四丁目あたりにあるのですが、長らく広場しかなかった場所が、最近ちょっと変わってきています。

 

難波宮の建物自体は、現地ではなく大阪歴史博物館にて再現されています。

難波宮には前期と後期の2つがあり、日本初の首都だった時代は前期の方です。

前期難波宮:西暦651年~686年(34年間)
後期難波宮:西暦744年~745年(1年間)

 

大阪歴史博物館の最上階である10階に、当時の宮殿や官吏までもが再現されています。

で、10階の窓からは、難波宮があった広場を鳥瞰することが出来る…という凝った造りになっているです。

 

現地の様子

難波宮跡地の様子。まずは中央大通を隔てて南側にあるのが、大極殿院です。台座だけが再現されています。

続いて北部にあるのが内裏正殿です。こちらも台座だけが再現されています。

歴史的建造物などではないので、割と自由に散策が可能。スロープまで付けられていてバリアフリーもばっちりですね。

当時(後期難波宮)が再現された模型の様子。さきほどの鳥瞰写真と同じアングルから撮影しています。

真ん中にある空間あたりが中央大通で、その前後に先ほどの2つの建物が見られます。

 

…という感じで、「まぁなんとなくすごい場所」ってのはわかって頂けたかと思うんですが、当時の建物などは何もなく、ただ広大な広場があるのみです。

これは当時の建物が何色だったのか?など、まだ未解明な点が多いことが理由と思われます。

歴史博物館内の展示を見ると、朱色で建物が作られていますが、実際この色かどうかなどもまだわかっていないそうです。

 

 

なノにわが完成

長らく本当に何もないだけの広場だった難波宮でしたが、2025年3月に商業施設「なノにわ」がオープンしました。

また、長らく警察車両の駐車場程度にしか使われていなかった北部側の広場も開放され、南北あわせた難波宮跡に足を踏み入れることが出来るようになりました。

 

ちなみに

難波宮の真ん中には阪神高速13号線が通っていますが、このエリアだけ高速道路であるにも関わらず地上へ降りてきます。

これは保全地域であるが為に、ここで穴を掘って杭や基礎工事が出来ないことが理由です。

出典:

阪神高速のサイトでわかりやすく図示していますが、御覧のように土の上に乗せているだけとなっています。

この兼ね合いで高架橋脚が作れないことから、このエリアだけは地平を走る構造となっているのです。

 

関連リンク

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参考文献

  1. 阪神高速『阪神高速の大規模更新 13号東大阪線 法円坂付近



書いた本



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