日に日に人気度があがっていく大阪・関西万博。1970年万博と同じ雰囲気になってきているのを感じます。
というのも、あの万博も最初は全く人気がなく、夏休み突入&閉幕前になるまでグングン入場者数が伸びていったからです。
その1970年万博が最も混雑したのが、9月5日の「83万5832人」でした。今回の万博は15万人で大盛況!と言ってますが、比にならないレベルですね…。
大混雑でパニックとなったあの日を、鉄道関連を中心に振り返ります。
北大阪急行の積み残し
「帰れない!」
冒頭でも書きましたが、9月5日の来場者数は過去最高の83.5万人。
北急や阪急、万博協会が想定していた数字をはるかに超え、完全に輸送のキャパオーバー状態でした。
これは、
・土曜日で、午後からドッと流入したこと
・会期終わり手前の駆け込み需要
・好天に恵まれたこと
などが挙げられます。
当時の土曜日は「半ドン」と呼ばれ、午前のみ学校・仕事があり、午後からが休みでした。
また17時以降の入場者数が30万人に達したことで、夜間の会場内滞留者が増えました。
その客が帰ろうとする時間帯が夜間に集中したことで、結果的に終電に乗れない…という事態が発生したのです。

この時間帯の北急はおおよそ5分間隔で運行していましたが、到底追い付きませんでした。
23時36分発江坂行き終電(江坂で交通局列車のあびこ行に接続)が出た時点でも、まだ駅近くやホームに10万人、会場内に5万人もの人が取り残され、結果的に5,000人が会場内に野宿。
運よく会場から出た人も、接続列車がない等の理由から梅田等の繁華街で野宿する方が多かったようです。
また、北急の職員さんも帰れず、急遽会社が用意した車に乗りこみ、独身寮で一夜を明かした…と記録にあります。
輸送力をチェック
当時は北急の2000形・大阪市交通局の30系(8連、1両あたり定員130名)が主力ですから、1列車あたりの輸送数は約1,040人。限界まで詰め込んだ200%の乗車率でも、せいぜい2,000人程度の輸送力です。
単純計算で30万人を輸送とするとなると150便が必要になりますが、最短2分半間隔で運行しても1時間当たり24本が限界なので、6時間半程度の時間が必要となります。
閉場時間である21時から終電までわずか2時間半なので、例え2分半間隔で運行したとしても、到底追い付きませんね…。
翌日の対応
この事態を受け、翌6日の日曜日は入場制限を実施。
入場制限は会場内もですが、そもそも「地下鉄の切符を売らない」「万博会場行きの電車を出さず千里中央で折り返す」という苦肉の策で、なんとか回避したのでした。
もしこの施策がなければ、100万人が来場していたであろう…と公式記録は回顧しています。
退場制限
パニックとなった9月5日以外でも膨大な来場者数に輸送が追い付かず、度々万国博中央口駅への入場制限がかかりました。
帰宅が増える19時から段階的にホームへの入場制限を行ってホームでの滞留者を捌き、臨時列車を増発したほどでした。
4月まではまだ来場者も少なかったので良かったものの、5月から学校や農協の団体利用者が増えたことで入場者数が劇的に増加。この頃から駅への入場制限がかかり始めたようです。
野宿者が出ませんように…
いかがでしたでしょうか。この当時は色々とえげつないですね…。
ただ、当時のニュース映像では「(野宿して)会場に泊まり込んだ4000人が早くも行列を作り始め…」と言っており、昭和の方のエネルギッシュさに驚かされますね。
今回の2025年万博でも、「10月初頭は非常に混雑する」との予測が出ています。
中央線もかなりの頻発ダイヤを組んで対応にあたってはいますが、夢洲で野宿する人が現れないことを祈ります…。
過去最高/最低入場者数
過去最高…9月5日(土) 83万5832人
過去最低…3月16日(月) 16万3857人
関連リンク
参考文献
- 『日本万国博覧会公式記録 2』.日本万国博覧会記念協会,電通 ,1972
- 『北大阪急行50年史 : 1967-2017』.北大阪急行.