鉄道車両を新しく作ったり改造したり、また廃車したりする際には、線路が繋がっていれば鉄道で運ぶこともありますが、そうでなければ、道路上をトレーラー牽引による陸送輸送が行なわれます。
「新幹線シート」の30000系最新車両04編成が搬入される際の姿。大きく交差点をまわります
こちらは反対に、廃車になった10系06編成の姿。こちらも解体工場までトレーラー輸送で運ばれていきます
80年でここまで変わった
今から約80年前、御堂筋線の梅田-心斎橋間が開業しました。
もちろん地下鉄の運行に合わせて製造した車両を線路へと搬入しないといけないのですが、大阪駅まで鉄道牽引で持ってきた100型は、搬入口が設けられた本町付近までを道路で陸送することとなるのですが、当時はなんと牛と人で運んでいたことをご存知でしょうか。
出典:http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000106885.html
こちらがその写真。1933年4月19日、大正~昭和っぽいおしゃれ…当時の言葉で言うとモダンな街並みの御堂筋を、100型車両がゆっくりと運ばれる様子です。「キリンビール」の文字が逆さ読みなのが特徴的です。
人や牛、更にフォード製のトラクター(30馬力なのだそうです)も力添えしながら、当時は大阪駅から本町付近(平野町3丁目)まで約2.5kmの道のりを、4時間かけてゆっくりと運んだのだそうです。
十八日朝、梅田貨物駅についた住友製鋼所製作の車台、川崎造船所製の車体搬入が同日午後二時までに車台二両分を終る予定が少し故障し、調子の悪さにも神経過敏になって遅れてしまった。(中略)
車体は梅田駅で別の運搬車にのせられかけたが、一万貫(約三十七トン)もあるだけにチットやソットで動かず、午前四時頃やっと納まって同五時頃動きかけたが一時間一キロの遅足ぶり。阪神前から南北線を通り新町橋で一時間の休憩、南御堂前についたのが同八時、見物人がぎっしりつめかけ、上は黄色に下は空色というスマートな車両に感心し、市電気局(現在の交通局)からも清水建設部長、橋本次長らがつめかけていた。
『大阪市地下鉄の歩み』35p ー 岩村潔 著、市政新聞社、1970年12月
午前8時に搬入口である南御堂前に到着したものの、そこから実際に線路へ接地させるまでに更に手間取り、完全に作業を終えたのは翌日のことであったそうです。[ref]「SUBWAY」- 日本地下鉄協会報 第204号[/ref]
そしてあれから80年…
現在は、大型トレーラー1台で軽々と運びます。これは2014年に、上の写真と同じ形式の100型が、再び陸路を走った時の貴重な写真です。
この100型は、約80年ぶりに地上の大阪の街並みを見たことになります。
この時担当したのは、大阪市営地下鉄の陸送を担当することが多いベテラン、兼六商事運輸さんの三菱ふそう スーパーグレート(排気量10,000cc超え、300馬力以上)で運ばれ、時速は40km/h程度まで達していました。
北加賀屋にある緑木検車場を1時頃に出発し、大きく西梅田まで迂回しながら、大阪市役所(淀屋橋)に到着したのは午前3時頃。80年前の7倍である約14kmの道のりを、80年前の1/2の2時間で走破していました。
時代の進歩を身を持って感じた100型は、現在また緑木検車場にて安置されていますが、再びまた陸路を牽引される姿を見ることが出来るのでしょうか。
関連リンク
参考ツイート
←昭和7年の陸送(牽引は牛と人と360cc以下?の軽トラ)
→平成26年の陸送(牽引は兼六商事 三菱ふそうスーパーグレート) pic.twitter.com/T3ArvuZTrR— Osaka-Subway.comは14周年 (@OsakaSubwaycom) February 14, 2017
※ツイートでは昭和7年と表記しましたが、正しくは昭和8年のようです
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Photo,Writer :Series207 2017/2/14