大阪市営地下鉄の中で些細なことでも一番!ということを取り上げる「なんでもイチバン」
今日のなんでもイチバンは…一番長い駅名である、四天王寺前夕陽ヶ丘駅と
大阪ビジネスパーク駅です。
両方とも駅名表記は9文字。実際の読み数で言えば四天王寺前夕陽ヶ丘駅に軍配が上がるので、今日は四天王寺前夕陽ヶ丘を取り上げます。
当初の計画「椎寺町」
四天王寺前夕陽ヶ丘駅は元々、大阪市電の駅名であった「椎寺町」が当初の駅名候補にありました。
ところが、肝心の駅周辺の地名は東側は六万体町、西側は夕陽ヶ丘町と、全く椎寺町にかすってなかったので、このどちらかになることになります。
当時のことが記された文献によると、次のように書かれています。
この附近の高台からの夕陽の沈みゆく風景はすばらしく、この景色から夕陽ヶ丘という地名が生れたものも無理からぬことと推測された。
正式の名称は陰気くさいお寺の名より、すばらしい夕陽の方が適切であろうということになり、夕陽ヶ丘停留場と名命することにした。
『大阪市地下鉄の歩み』561p ― 岩村 潔 著、今岡 鶴吉 監修 昭和45年12月1日発行
では、そもそもの夕陽ヶ丘というロマン溢れる地名の由来は何なのでしょうか。
ロマン溢れるその由来
出典:http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-673.html
この地図は弥生時代のものだそうですが、このようにかつて大阪は海が多く、なんと四天王寺前夕陽ヶ丘駅周辺ですら海がすぐそこにある岸でした。
大阪城から南へと続く細長い上町台地の南端にあるこの地は、夕焼けが大変すばらしく、
新古今集の藤原家隆が、1237年の出家後にこの地に住んで「ちぎりあれば難波の里に移りきて、波の入日をおがみつるかな」と謡ったのが地名の由来だそうです。
つまり、夕陽が美しい景勝地として夕陽ヶ丘と名付けられたのが地名の始まりなのだそうです。
千日前線開業記念パンフレットに掲載されている地図を見ると、当初は夕陽ヶ丘駅という名前で進めていたようですが、昭和43年頃、突如四天王寺前と命名されることが正式決定します。
四天王寺前の由来は、その名の通り駅前に聖徳太子が建立した「四天王寺」があることから。天王寺という地名もここから取られています。
当初は四天王寺前(夕陽ヶ丘)と副駅名称扱いでしたが、平成9年に正式駅名として採用され、大阪市営地下鉄一の長い駅名として今日に至っています。
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Photo,Writer :Series207 2016/07/26