【コラム】大阪地下鉄の冷房はトンネルに川を流すことで実現しようとしていた

【コラム】大阪地下鉄の冷房はトンネルに川を流すことで実現しようとしていた

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今でこそ当たり前になった地下鉄の冷房。

当時の地下鉄は縦側のスペースが狭かったことや、排出した熱をどこにトンネルのどこに捨てるのかが課題となり、なかなか実現しませんでした。

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それを初めて実現させたのは、現在も御堂筋線を走る10系でありました。

10系は、これまでの電車で採用されていた排熱がたくさん出る「抵抗制御装置」と違って、排熱が少ない「チョッパ制御装置」を採用し、余った”排熱キャパシティ”を、冷房装置の排熱に回すことが可能となったのです。

 

紆余曲折あった地下鉄の冷房

当時乗車率300%であった御堂筋線をはじめ、大阪市営地下鉄への冷房装置設置は急務でした。しかし、俄然排熱の問題が解決しない為、冷房装置の設置は見送られていました。

阪急では一足先に冷房装置を載せた車両が登場していましたが、堺筋線内では上記の排熱によるトンネル温度上昇を懸念して、わざわざ天神橋筋六丁目駅で切っていた…という逸話もあるほどです。

『大阪市営地下鉄の駅舎冷房 9p』 交通サービス株式会社,2001年7月

 

 

ここで考えられた方式として、この「壁面濡壁方式」があります。

これは図のように、トンネルの横に水が通る、川のような小さな水路を置き、その水が蒸発してトンネル内を冷却するというもの。これは現在街中でもよく見る「ミスト効果」と同じで、実際に温度を3~5度下げる効果があったそうです。

しかしながら3~5度という温度は、体感的にはさほど変わりがなく、弊害としてトンネル内にある金属工作物(信号など)などが腐食したり、カビが発生して衛生上問題になったりするなど数々の課題があったことから、取りやめとなったようです。

 

冷房車両開始時期

地下鉄全線へと冷房装置がいきわたったのは、比較的最近、平成時代になってからのことです。

御堂筋線:1979年6月20日(10系)
谷町線:1989年6月1日(20系)
四つ橋線:1990年6月1日(23系)
中央線:1985年6月1日(20系)
千日前線:1992年6月30日(25系)
堺筋線:1979年5月20日(阪急車両)
鶴見緑地線:開業時より(1990年5月3日)

出典:『大阪市営地下鉄の駅舎冷房』 交通サービス株式会社,2001年7月

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Photo,Writer :Series207  2017/03/31




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