昨日「駅の名は。」と題して、建設時と現在の駅の名前が違う例をいくつがご紹介しましたが、四つ橋線岸里駅も、かつては計画時の名前が違っていたことをご存知でしょうか。
やしきたかじんを育てたこの岸里駅は、昭和31年に竣工。南海線にも1913年に完成した岸里駅(現在の岸里玉出駅)駅があるなど、歴史的にも100年来の伝統ある地名です。
「岸里」駅の本当の由来
この区間の建設計画は大正14年10月10日に決定された「大阪市高速度交通機関協議會」にまで遡るなど、かなり早期から計画されています。
また、当時計画された地図を見ると「皿池(さらいけ)」と記載されています。
出典:「大阪市地下鉄建設五十年史」―1953年、369pより
では、何故改名されたのでしょうか。
従来説として「皿池」は「血池」と間違えられて縁起が悪いから、という説があり、Wikipediaにもそう書かれています。
が、(それも間違いではなかったようですが)あくまで「岸里」と名付けられた理由としては、当時の交通局長が監修を務めた書籍にて次のように説明されています。
この新駅の位置は東側が東皿池町、西側は西皿池町となっており、駅名は地元の名をとって、当局では皿池停留場と定めていた。念のため当時の西成区町明石氏や市会議員団、地元代表の意見を聴取したところ猛反対をくった。
「皿池」の地名は駅前周辺のせまい地域で、もっと広い地域を代表する「岸の里」がよいという意見が多かった。なかには「皿」という字は「血」の字と間違いやすい。「血の池」などと読んだり書かれたりしたらたまらんという説もあり、この意見をまじめにとり入れて岸の里に決定した。
『大阪市地下鉄の歩み』 ― 岩村 潔 著、今岡 鶴吉 監修 昭和45年12月1日発行
先述のように南海電鉄も「岸里」という駅名で既に開業していましたし、住人としてはそちらに馴染みが深かったのもあるようです。
唯一の「ひげ文字」駅名標
駅構造は戦後の昭和30年代らしい、中階がなく浅い側式(相対式)ホームです。同時代の施工例として、他に御堂筋線の西田辺駅・あびこ駅があります。
特筆すべきは、玉出側に未だ残る「ひげ文字」の駅名標。
柵の向こう側にあるので普段目にする機会はありませんが、現役で残っている駅名標としてはかなり貴重な存在です。公開していただけないでしょうか……。
「皿池」の名前が残っていない?
そんな「皿池」ですが、出口案内や標識を見ても全くその名が見つかりませんでした。
調べてみると、皿池という地名は1973年に改名され、現在は「潮路」・「岸里」という地名になっているようです。
「皿池の名が残っている何かがないかな…」と思って駅のマップを見ていると、潮路一丁目に「西皿池公園」という、皿池の名を残す公園があったので行ってみました。
余談ですが、沿線にはボウリング場を併設した、めちゃくちゃでかいスーパー玉出があります。
変哲もない普通の公園ですが…
ありました!!西皿池公園と名前がついています。
唯一現代にまで「皿池」の名を残しているこの公園は、今日も人知れずその名を伝えていくのでありました…。
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Photo,Writer :207 2016/12/29
Rewrite:2020/05/07