8月9日をもって廃車搬出が完了した、20系30番台としては初めての廃車となった20系31編成(2631F)
前半生は谷町線で、後半生は中央線で活躍した車両で、丁度どちらも15年程度在籍したことになります。
個人的にも思い入れのあった車両なだけに、今日は過去の同編成を写真で振り返ってみることにしました。
初の谷町線冷房車
20系31編成は、1989年に谷町線初の冷房車として登場しました。
基本的な設計は中央線20系と同じですが、生駒トンネルを超える必要がない為に抑速ブレーキの設定がありませんでした。
1995年頃までは窓下に「ラインカラー+マルコマーク」という旧帯デザインでしたが、徐々に「ラインカラー+補色にホワイト」という新帯へ塗り替えられていきました。
側面のラインがホワイトを入れた帯に変化した以外はあまり変化はなく、登場から15年間は谷町線にて活躍していました。
新20系が登場してからも、電車らしい2つ目のライトにブラックフェイス化した前面の顔立ち、一面に塗られた号線カラー…など、どこか愛嬌のある車両として谷町線の長い地下区間を走り回っていました。
最後まで谷町線に…
転機が訪れたのは2004-05年。
近鉄けいはんな線の延伸で95km/h運転を開始することもあり、ちょうど更新時期に差し掛かっていた20系を高速化改造+更新すべく、中央線24系とのトレードが行われることになりました。
その中でも20系31編成は、最後まで谷町線に残り続けた車両でした。
最後まで残った20系31編成を、ひたすら追いかけまくったのも懐かしい思い出です。
谷町線は総車両数も多く、更に当時はTwitterもなかったのでなかなか出会えませんでしたが、それだけに撮影出来たときの嬉しさもまた大きかったものでした。
2006年3月9日、八尾車庫に佇む20系31編成。
私が見たのはこの日が最後でいつの間にか姿を見せなくなり、改造工事が始まりました。
中央線でRe:birth
2006年8月2日付けで中央線へ転属。同日、20系30番台では最後となる改造後試運転を行いました。
必要のなかった抑速ブレーキを改めて装備した他、最高速度が95km/まで出せるようになりました。
けいはんな線開業後、記念列車(HL21)とすれ違う20系31編成。
中間更新といえども外観・内装に大きく変わりはなく、殆ど谷町線時代のままのアコモデーションで運行を続けました。
この後15年程度は目立った動きもなく、海から山へ行ったり来たりを繰り返していました。
さよならの時
時は流れて2022年。
4月から新車の30000A系が試運転を開始し、どの車両が廃車になるのかの予想がファンの間で始まりました。
決め手となったのはこの休車でしょうか。5月に突如31編成が休車宣告を受け、森之宮検車場で休む日々が続きました。
今思えば、30000A系のデビュー予定日よりも検査期限が早かったことから、それを引き延ばすためのものだったのかもしれません。
通常、電車は検査期限を超えると営業運転が出来ず全般検査を行う必要がありますが、休車にすると休車期間の分だけ検査期限を延長することが出来ます。
30000A系と20系31編成が並ぶ構図。
デビュー後も30000A系は新車一本目ということであまり運行できず、両者がすれ違う場面を撮影するのは困難でした。
そして…8月5日~9日。ついに廃車されていったのでした。
車番と方向幕は売却されるからか剥ぎ取られていますが、それ以外はそのままの状態でトレーラーに載せて運ばれていきました…。
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