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【今日の記念日】4月8日:谷町線天六ガス爆発事故

2016/04/11

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今から46年前の1970年(昭和45年)4月8日。

この日は、当時建設中であった谷町線東梅田〜都島間の天神橋筋六丁目〜都島間にある国分寺にて、爆発事故が発生した日です。

死者79名、傷病者420名、消失家屋26戸48世帯、損傷家屋数百もの多大な犠牲が発生しました。

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出典:https://www.police.pref.osaka.jp/01sogo/history/img/1970_0408.jpg 

 

1970(昭和45)年4月8日17時45分、大阪府大阪市大淀区(現 北区)国分寺付近の谷町線建設現場でガス爆発事故が発生した。天六ガス爆発事故と呼ばれ、死者79名、負傷者420名を出す大惨事となってしまった。
建設中の地下構内のガス管が、継手部分を含め約200mにわたって宙吊りとなっていた。建設工事や交通荷重の影響で継手部分が劣化していった。結果、17時15分に継手部分が抜け落ちて都市ガスが噴出した。

この区間は開削工法で建設されており、ガス噴出時は覆工板が設置されていた。覆工板が蓋の役目をして地下構内は都市ガスが充満、隙間から地上にも漏れ出た。たまたま通りかかった大阪ガスのパトロールカーがガス漏れを検知して通報、事故処理車が到着する。この事故処理車が現場で移動しようとエンジンを始動した際にセルモーターの火花が引火、17時39分に発火し、地上に噴出していたガスにも着火した。自動車が燃えたことにより、野次馬が多く集まりだして付近は多くの人が集まっていた。

そして17時45分、何らかの原因で地下に充満していたガスに着火、高さ約10mの火柱とともに大爆発が発生した。この大爆発により、付近に敷き詰められていた覆工板(重さ約380kg)約1,500枚と、その上に乗っていた人も吹き飛ばされた。

出典 ー なにわの地下鉄

200m x 10m、重さ380kgものコンクリート板が人ごと吹き飛ばされる… なんという凄まじい…。

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出典:大阪市交通局百年史 462p

 

当時は万博開催中。万博開催時は原則、道路上での工事が禁止されていた(世界中からの来客に対応する為に道路機能を優先させるため)から、それに間に合わせるように突貫工事になったのが原因のようです。

当時の大阪市交通局の出した書籍にもこう記されています。

万国博開催期間中は道路上での工事がいっさい禁じられていたため、大急ぎで工事を進め、万国博開催までに道路整備を急きょ整えたが、そのために道路交通上都合の良いコンクリート舗板で覆工し、地下に限定されて進めていた工事が裏目と出て、予測もしないガス洩れが発生すると、通風性の悪いコンクリート舗板は、爆発事故をさらに大きくすることとなった。

市電から地下鉄へ 市営交通創業70周年

 

この事故の影響で谷町線東梅田〜都島間の開業は、当初の予定よりも1年半遅れた1974年にずれ込むことになりました。

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この事故で犠牲となった方々を鎮めるべく、慰霊碑が今も北区国分寺公園に安置されており、石碑に刻まれた文が当時のことをを教えてくれています。

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昭和45年4月8日午後5時過ぎ、大淀区(現在の北区)国分寺町5番地先の市道北野都島線を通る大阪市地下鉄谷町線建設工事現場で発生したガス爆発事故は、平和な夕暮の町を一瞬にして焦熱地獄と化し……とあります。

 

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慰霊碑の場所は、天満橋筋と都島通が交差する樋之口町交差点からすぐ、真言宗系の国分寺の向かいに位置しています。

住所:大阪市北区国分寺1丁目 3-6

 

また、現在も谷町線に設定されている「都島行き」は、この事故の補償の意味合いもある…という話がありますが、単純に折り返し線が設置されているからであり、ソースも確認出来ない事から事実ではないと思われます。

 

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Writer:Series207  2016/4/05

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