【特集】四天王寺前夕陽ヶ丘とかいう超長い駅名の由来について本気になって調べてみた

【特集】四天王寺前夕陽ヶ丘とかいう超長い駅名の由来について本気になって調べてみた

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大阪市営地下鉄で最も長い駅名として著名な四天王寺前夕陽ケ丘。西中島南方や喜連瓜破などありますが、この四天王寺前夕陽ケ丘もよく取り上げられます。

四天王寺前夕陽ケ丘の駅名の由来については各媒体がよく取り上げますが、確固とした文献にまで踏み込んだ記事は少ないように思います。

そこで、今日は四天王寺前夕陽ヶ丘とかいう超長い駅名の由来について本気になって調べてみました

 

揉めに揉めた駅名

時は1970年。万博がまもなく始まろうとしていた頃、当時東梅田~谷町四丁目間が先行開業していた谷町線は、御堂筋線・近鉄・JRのターミナルがある天王寺まで延伸されることとなりました。

その道中に出来たのが、この四天王寺前夕陽ケ丘駅。当初の仮称は「夕陽ケ丘」停留場で、広報誌などにもその名前で告知されていました。

この附近の高台からの夕陽の沈みゆく風景はすばらしく、この景色から夕陽ヶ丘という地名が生れたものも無理からぬことと推測された。

正式の名称は陰気くさいお寺の名より、すばらしい夕陽の方が適切であろうということになり、夕陽ヶ丘停留場と名命することにした。

『大阪市地下鉄の歩み』561p ― 岩村 潔 著、今岡 鶴吉 監修 昭和45年12月1日発行

『地下鉄千日前線桜川⇔谷町九開通 地下鉄網完成記念』 より
『地下鉄千日前線桜川⇔谷町九開通 地下鉄網完成記念』 より

 

ところが、一度は決まりかけた駅名が覆る事となります。

 

昭和四十六年六月、着工するときから同駅は「夕陽ヶ丘」とし市政だよりや交通局ニュースで市民にPRしてきた。ところが四十二年暮れごろから地元選出市議らの助けを借りて、地元市民から「四天王寺前」に変更してくれとの猛運動が始まった。

停留所仕上げも最盛期になり駅名板も作らねばならず、運輸省に正式名称を報告して認可をうけねばならなくなったので、いつまでも駅名問題を放置できず、市民の意見を聞くことにして、この問題を天王寺区長に一任した。

『大阪市地下鉄の歩み』561p ― 岩村 潔 著、今岡 鶴吉 監修 昭和45年12月1日発行

当時の天王寺区長は、沿線市民の有力者や市議会を交えて慎重に審議した後、その最終判断は、夕陽ケ丘ではなく、陰気臭い「四天王寺前」に内定、当時の運輸省に申請することになります。

 

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駅上部に位置する交差点の名前は「夕陽丘」

 

こういう場合に折衷案として提案される”長過ぎる駅名”は、今でこそ当たり前になりましたが、当時の価値観からすれば考えられなかったようです。

一号線の「西中島・南方」のように「夕陽ケ丘・四天王寺前」という両者の名称をくっつけたものにせよと強硬に主張し、区役所や交通局に陳情され徹夜交渉まで行なわれた。

しかしこの名称は、余りにも長く、当時既に本省に駅名を正式決定して諸般の準備を終り、竣工検査も行なわれている段階であったので、いまさら変更することはできない。

『大阪市地下鉄の歩み』562p ― 岩村 潔 著、今岡 鶴吉 監修 昭和45年12月1日発行

四天王寺前が正式名称として内定し、また大阪外の人でもわかるように四天王寺前(夕陽ヶ丘)というカッコ書きに落ち着きます。

 

その後、正式名称に…

そしてカッコ書きのまま、平成9年に改称を迎えることになりますが、何が改称のきっかけになったのかがわからずにいました。

そんな中、ネットを探していると、一つの情報を見つけます

平成11年(1999)。同じ大阪市営地下鉄の別路線に「大阪ドーム前千代崎(現在はドーム前千代崎)」という駅が開業し、切符などに文字数の多い駅名が記載できるようシステムが改良される。これを機に「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」のカッコが外され、「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅が正式名称となった。28年にも及ぶ地元住民の念願がついにかなったわけだ。

http://news.mynavi.jp/news/2013/07/22/036/

この件に関しては図書館や公文書館などで当たってみても今ひとつ有効な論拠が出てこず、また、この話は駅名改称は1999年(平成11年)となっていますが、実際の駅名変更は1997年(平成9年)であることからも、有効な情報ソースとしては疑問視されます。

 

困り果てたので、この件について大阪市交通局広報さんに訪ねてみました。すると…

駅名決定後も継続して「四天王寺前夕陽ケ丘」に欲しいという請願はあったものの、路線図の変更など一定のコストを伴う事から退けられていましたが、長堀鶴見緑地線の開業で(当時未着工であった今里筋線を除く大阪市営地下鉄の)路線網が一通り完成するので、これを機に変えよう、というお話だったそうです。

ー 大阪市交通局 広報 2016年7月29日

という回答を頂きました。つまりこの機を逃すと(当時の予定では)しばらく地図なども更新されることがないので、駅名改称されるチャンスがない、ということでした。

システム的なことは関係ない、とキッパリお返事を頂きましてので、どうも違うようです。

今里筋線の着工決定は2000年、駅名改正したのは1997年である事からもこの説が濃厚の様です、

 

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当初の駅開業から実に30年。

長年の陳情で勝ち取った「夕陽ケ丘」という素晴らしい名前は、今後も大阪市営地下鉄一の最長駅名としての名誉(?)と共に、その名を知らしめています

 

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協力:大阪市交通局 広報
Photo,Writer :Series207  2016/08/23




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