昭和8年の大阪市営地下鉄開業時に作られた「大大阪地下鉄行進曲」というものがあります。
昔ながらのレトロな曲という感じ。当時の流行歌手であった、徳山 璉(たまき)と小林千代子が歌っています。
両名の肖像。いやはや、当時の歌手というのはこんな感じだったんですね。
曲と歌詞
水の都の地の底までも 進む文化の輝くところ
拓く軌道は浪花(なんば)のほこり
讃えよ地下鉄 スピード時代夢が現(うつつ)に今まのあたり 開く地下鉄彩るサイン
市(まち)の栄えはわれらの誇り
讃えよ地下鉄 スピード時代街の交通(ゆきき)の悩みも知らず 四時(いつ)も五月の風さえ薫る
高速電車は時代の誇り
讃えよ地下鉄 スピード時代
大大阪地下鉄行進曲(1933年)
唄:徳山 璉・小林千代子
作詞:平塚米次郎(大阪市電気局長)
作曲:橋本国彦(1949年没)
歌詞中に「讃えよ地下鉄 スピード時代」とありますが、当時の市内交通はバスか路面電車。どちらも平均速度が遅いことから、最高速度70km/hで走る地下鉄は文字通り「高速」な交通機関でした。
現在でも交通局内部では「高速」の名称が「地下鉄」を指す言葉として用いられています。
歌を作ったのはモダンな交通局長
出典:http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kato/9dkpl/first_pla.pdf
実はこの曲の作詞者、平塚米次郎(画像の一番左)氏は、なんと当時の大阪市電気局(交通局)長!!
いやはや、センスがあります。スゴい。
実はこの局長はかなりのやり手で、当時四ツ橋にあった電気科学館に、東洋で初のカールツァイス社製プラネタリウムⅡ型を導入した人としても著名なんだとか。
当時の大阪市上層部は、未来への明確なビジョンがあり、大阪市という街を世界第6位の街へと発展させてきました。
今の大阪市に問われるのは、まさにこういった指導力ではないでしょうか。
参考リンク
地下鉄80周年のミニドラマ(PDF)
https://www.manabi.city.osaka.lg.jp/www/contents/lll/ityou08/buckup/201310_p3.pdf
他にもこんな歌があります。参考にご紹介しておきます。
大阪地下鉄小唄
一、春の花かえ乗場のサイン
つい誘われて地下鉄へ、
ナント結構な乗心地二、河の底にもシークな電車
夏は納涼(すずみ)の地下鉄へ、
ナント結構な乗心地三、秋の嵐も時雨もよそに
いつも明るい地下鉄へ、
ナント結構な乗心地四、帰る夜空の月さえ凍る
寒さ知らずの地下鉄へ、
ナント結構な乗心地五、恋いの通い路北から南
いそぐあう瀬の地下鉄へ、
ナント結構な乗心地六、市(まち)の栄は地の中までも
浪華名所の地下鉄へ、
ナント結構な乗心地作詞:平塚米次郎(大阪市電気局長)
作曲:橋本国彦(1949年没)
日常や当サイトで取り上げないような他の大阪市営地下鉄の話題ならこちら
文章中の写真の著作権は著作者に帰属します。無断転載は固くお断りします。
Photo,Writer : Series207 2015/10/01