ここでも少し言及しましたが、かつての予定では南海は堺筋線へ乗り入れる予定でした。
しかし、これに関して詳しく説明したものはなく、どの資料を見ても「阪急・南海両者が出願したが、軌間の違いなどや万博輸送の観点から南海が断念した」という程度の軽い記述に留まっていました。過去に作った私のサイトを見てもこう書いてありました。笑
建設当初は南海電鉄も隣接する(天下茶屋周辺からの大阪市内乗り入れ)為、三社共願になった
…が、南海電鉄には諸事情(軌間・電圧が違う)があり断念せざるをおえず、阪急が乗り入れる事となった。
また、この裁定は陸運局(現在の国土交通省)が行い、将来性から1500Vの阪急側規格になった。
しかし、実は堺筋線へ南海が乗り入れる際の条件というのは、かなり具体的に判明していることがわかりました。
これは、元南海電鉄の副社長である岡本和夫氏が、この件に関して次のように述べています。
具体的な南海の乗り入れ条件
大阪市(筆者注:堺筋線)の特許申請後、南海は運輸省の特別監査を受けたが、その真意は昇圧問題であった
(中略)
当時南海は600Vだったが、昇圧に対しては7両編成までは対応できるとし、当事者は昇圧したいと思っていたと思うが、なにぶん車両から電力施設の改変までの費用を考えると、つい二の足を踏んで昇圧する意思を示せぬまま終わってしまった。当局としては、昇圧の意欲を示しさえすれば、堺筋線は狭軌で建設して南海と直通、千里山線は狭軌化させて相互乗入れをさせる意図であったとされる。南海は直後に昇圧を決定し、準備を進めただけに誠に惜しいチャンスを逸したといえよう。
出典:「鉄道ピクトリアル 2008年8月号 【特集】南海電気鉄道」,電気車研究会
阪急は現在の京都線全てではなく、千里線 北千里~天神橋筋六丁目間のみ限定的に狭軌に改軌させ、堺筋線は大阪市営地下鉄初の狭軌で建設、そして南海は高野線、もしくは本線のどちらか全線と直通運転をする予定であったようです。
つまり運輸省は、阪急は狭軌化に、南海は1500Vの昇圧にお互い出資させることで歩み寄らせ、3社直通運転を行なわせようとしていたようです。
しかし残念ながら、この当時南海電鉄では1967年に樽井駅周辺でのトラック追突による脱線事故、箱作駅での駅構内衝突事故、翌年1968年には天下茶屋駅で急行列車の信号無視による追突事故と、俗に言う「南海3大事故」を起こしており、近畿陸運局から警告書が出されるなど、昇圧どころの話ではなく、安全に投資せねばならない時期でした。
もし乗り入れが達成できていたなら
・天下茶屋駅は南海管轄、路線境界は動物園前駅
・路線開業の1969年から天下茶屋への乗り入れを果たす
・線路配置的には高野線が乗り入れか?
・路線カラーは黄緑色だったかも(当時南海のカラーだった緑は中央線で使われていた)
だったのでしょうか。こういった未成計画は様々な想像ができ、鉄道ファンとしてはこういった話で盛り上がれるのが楽しいですね。笑
関連リンク
紹介して頂きました。ありがとうございます!
(こちらは大阪市営地下鉄の話ではないので、別ブログにて掲載しています)
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Photo,Writer :Series207 2017/1/09