【コラム】昭和町駅の計画時駅名は「阿部野」だった

【コラム】昭和町駅の計画時駅名は「阿部野」だった

無題

戦後一番乗りに開業した、御堂筋線の昭和町駅。

実は計画時から長らくの仮称は「阿部野駅」だったことをご存知でしょうか

 

「阿部野」は阿倍野区の中心

御堂筋線計画マップ

以前この記事でお伝えしましたが、昭和22年当時の計画駅名は「阿部野」と記載されています。確かに阿倍野区役所に最も近い駅ですし、南端が西田辺、北端があべのハルカスである阿倍野区の中心に位置することもあって、その名前には納得がいきます。

むしろ、現在の谷町線阿倍野駅は阿倍野区の北端ギリギリに位置した南海平野線の駅名をそのまま採用したため、区の代表名を名乗るにはいささかズレ過ぎている節があります。

 

 

 

 

 

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また「阿部野」か「阿倍野」かですが、現在最も古くから施設がある近鉄は「阿部野橋」となっていますし、次いで歴史のある大阪市バスは「阿倍野橋」が正式名称だそうで、歴史的にどちらも採用歴があるらしく、どちらも正しいようです。

近鉄が「部」の文字を採用した背景に関しては、日本経済新聞が取材した文面で次のように記されています。

1923年4月に開業した近鉄の駅名は当初、「大阪天王寺」だった。翌年、隣接する国鉄(現JR西日本)天王寺駅と区別するため「大阪阿部野橋」に改称した。その際、どの漢字を当てるか近鉄も頭を悩ませたらしい。

http://style.nikkei.com/article/DGXBZO24307800S1A300C1AA1P00?channel=DF130120166105&style=1

 

結局「昭和町」という名前に落ち着くのですが、この名前は文字通り、昭和に新しくつけられた瑞祥地名とよばれる地名で、香川県にも同名の駅があります。

町名は、この地域の土地区画整理に当たった阪南土地区画整理組合の土地造成が、昭和4年に完成し、それを記念して年号の昭和を町名としたことに由来する。地下鉄が開通し駅名にもなった。

http://spwww.city.osaka.lg.jp/abeno/page/0000001309.html

 

当時は”半”地下式

出典:「かくて200万の足は動く」- 大阪市交通局 昭和28年

昭和8年の計画時点ではなんと相対式の高架駅の予定でした。現在の朝潮橋駅のような形状の予定だったようです。

結局、国防上の理由から地下式に変更された後、戦争が終わった昭和26年にようやく地下式で完成しましたが、それでも豆次の資材不足から、昭和町駅~天王寺駅間はU字型に穴を掘った「半地下式」で将来的に上部にフタをする前提で作られ、あびこ筋建設まではこの状態で車両が行き交いしていたのだそうです。

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Writer :Series207   2017/1/18




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