【コラム】御堂筋線に存在する、秘密のホームと小野式隧道工法

【コラム】御堂筋線に存在する、秘密のホームと小野式隧道工法

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特集記事として、何かおもしろそうなネタはないものかと色々と探している中、Yahoo!知恵袋を見ていると、興味深い一文が目に留まりました。

大阪市営地下鉄に幻の駅が
御堂筋線の動物園前から大国町の間にあると聞いたのですが
実際なぜそんなところに駅があるんでしょうか?
とっても気になってます!!
知っている方教えてください。
「Yahoo!知恵袋」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=210271より

 

はて、そんなものがあっただろうかと一捻り。

 

 

あちらを見ていると、「大阪府と市の秘密の場所」だとか、「駅の上の構造物を考えればわかる」だとか…。

 

近隣を通る国道26号線は、昔から大阪と和歌山を結ぶ重要な道路として整備され、地下を通る四つ橋線工事時には「軍事上の理由」ということで、せっかく掘った穴をわざわざ埋め戻したエピソードもあるなど、歴史的に意味のある道路です。

 

更に、当時は国道に指定されていなかったものの、付近の「花園北交差点」は天王寺~尼崎~神戸を結ぶ国道43号線との重要な交差点。

 

確かに、大日本帝国時代にこの二つの主要道の交点の付近に、地下鉄を施工する…となれば、もしかすれば何か作られた形跡があるかもしれません。

 

当時大阪市が申請し、大正15年3月に認可された「都市計画法第3条」によれば、1号線の計画線は次の通り。

当初の計画は、豊能郡豊津村榎坂(現江坂駅)~東淀川区北川口町(現西中島南方駅)~国鉄大阪駅~御堂筋~
南海難波駅西端~市電大国町交差点~国鉄天王寺駅南側~住吉区西田辺町~住吉区我孫子町の
19.96kmの路線として計画された。

「なにわの地下鉄」
http://osakasubway.jog.buttobi.net/gaiyou/gaiyou_1.htmlより

大阪市営1号線、すなわち御堂筋線は計画当初からルートがほとんど出来上がっており、
なかもずや千里中央など、既存路線が少しだけ延伸されて、現在の形に落ち着いています。

 

また、当時描かれた地図を見ても、このようになっています。

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出典:「大阪市地下鉄建設五十年史」―1953年、369pより
 

 

当時の地図を見ると、大国町-動物園前間は何もないことがわかります。
(また余談ですが、岸里駅の名称が「皿池駅」になっています。)

 

つまり、駅の計画は元々この地にはあらず、建設後も特に何もなく現在に至っています。

 

まあとりあえず、このまま机上でうんうん考えていても仕方ないので、まずは行ってみよう!と思い、
現地へと向かいました。。。

土木技術の最先端、小野式隧道工法

御堂筋線天王寺駅に到着。人ごみの激しい中、わざわざ天王寺発の2番線から発車する列車を待って、かぶりつき位置に陣取る私。笑

今回の乗車列車は21613F。軽快に走行し、動物園前を発車します。

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乗っていると、天王寺~大国町間は、実に様々な掘り方で地下鉄を作っていたことがわかります。
昭和11年に作られたので、当時は現在主流の横から機械を使って掘っていく「シールドトンネル方式」の技術がまだなく、 上から穴を掘って後で埋め戻す「開削工法」か主流でした。

 

しかし、昭和初期当時でも道路交通量の多かったこの地域では、様々な掘り方が考案されました。

 

そのうちの一つが、動物園前~大国町間の戎本町2丁目~花園北1丁目の約52m間に採用された「小野式隧道工法」です。
これは北海道帝国大学の教授・工学博士であった「小野 諒兄(おの りょうえ)」氏が考案したものです。
同氏は鉄道土木技術研究者で、1953年頃まで著書を発表したりと鉄道土木技術の発展に寄与していた人物です。
建設当時、1935年12月15日付けの報知新聞には、こんな記事も記載されています。

札幌発=近代文化の立体線上に躍り出た地下鉄道は今後益々かがやかしい進展力を約束づけられ、東京、大阪等の大都市の地底をあたかもクモの巣の如く縫わんとしている、
しかしその施工法においては従来甚だ幼稚な域を脱せず、これが改良に着目した北大教授工学博士小野諒兄氏は十数年にわたり鉄道工学のうん蓄を傾けて研究の結果、
ついに成功、昨年二月新橋駅において地下鉄の連絡道路に第一回の試験を行い非常な好評を博したが、今回いよいよ大阪市高速度電気鉄道第一号線中西成区東四条三丁目の
地下鉄建設に際し同博士の方法を採用することに決定、大阪市当局では鉄道、内務両省の認可を得て去る六日、小野博士の許に採用許可を申込んで来た、
永年の研究ついに酬いられていよいよ文化の実践に供せられんとする小野博士の地下鉄道建設法とはどんなものか?
それは施行の安全、交通支障の減少、建設費の安価を目的にした画期的研究の成就である、現在日本で採用されている方法は東京はベルリンから大阪はボストンから輸入した
路面開鑿法であるが、地下鉄はその性質上最も繁華な都市の中心地帯に施行される関係上、この方法によれば交通障害多く且莫大な建設費を犠牲にするものである、

小野博士の方法は前記三条件を目標に先ず道路面から両側にIビーム(鉄くい)を打込んで地下鉄の側柱とし、地下において横梁と籠梁を組合せ籠状をつくり土圧を受けて後、
中央を掘鑿し最後に籠状をコンクリートで被包し地下鉄構造物となす方法である、即ち道路両側に五尺または六尺間隔に鉄くいを打込み工区の初めの端に出発坑を掘鑿し
両側鉄柱の間に横梁を電気溶接によってむすび合せその上端から数列の天井縦梁を挿し込む、縦梁には土留板を施しつつ下部を掘鑿して次の鉄柱に至る、
この順序を繰返して地下鉄を構成するものである、この方法によれば表面まで掘鑿する必要はなく従って交通障害は少い、且最初に鉄くいを打込むから従来のトンネル法の如き
路面の沈下を防ぎ施行法も簡単で費用は約三分のニですむ、しかも耐久力は結果の構造が同じだから従来同様である、
費用を見るに従来の方法では一哩につき構造物百六十万円、準備費百七十万円、小野博士の方法では準備費は全然なく合計二百三十万円ですむから一哩につき約百万円浮くことになる、

報知新聞 1935.12.15(昭和10)付 記事
並びに神戸大学Webサイト、http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00097672&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JAより

という、私たち素人目にはわかりにくい、かなり特殊な掘削方法で施工されたようです。

シールドマシンの無い時代に横から掘る事が出来るというメリットはありましたが、資料によれば天井側にコンクリートを打ち込みづらく、 また防水施工が出来なかったので雨漏りや地下水の漏水が激しく、最終的にモルタル(砂と水とセメントの混合液)を大量に吹きかけた…という話が記録されています。

)大阪市地下鉄建設70年のあゆみ―128pより
 
 

 

そして本題なのですが、その小野式隧道工法区間が、どうやら今回の謎の答えのようなのです。

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▲同区間の写真。

 

というのも、この写真をご覧頂ければおわかりになると思いますが、確かに壁面部分が一部明るく、駅の準備工事状態のようなものになっています。
これは、小野式隧道工法区間の補修工事を2006-2007年間に行い、鋼板接着とブラケット設置により躯体コンクリートなどの構造物を補強するほか、 鋼板には腐食防止のための塗装を行なった結果のようです。

)建通新聞 2008.6.17付よりhttp://www.kentsu.co.jp/webnews/html/080528700025.html
 
 

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▲わかりやすいように画像を少し加工してみました。上記で示した区間が恐らく「小野式隧道工法区間」であると思われます

 

結論

ということで、今回の結論としては

・好奇心、探究心を持たれた一般の方が、他と違う構造をした該当区間を見て駅だと思われ、一部で噂が広まった

・この該当区間は「小野式隧道工法」と呼ばれる特殊なもので、昭和初期の土木技術の最先端であった。

・該当区間には昭和初期の計画時から、この地に元々旅客駅設置の予定はなかった

これらのことから、この噂の事の発端は、この特殊なトンネルを見た一般の方が、噂としてネットに公開した…というところが事の真相であると思われます。
該当隧道区間が他と違った構造をしていて、また補強後に塗装の関係で柱が明るく見えることから、そう思われたものと推測します。

 

小野博士も、苦心して考案したこの小野式隧道建設工法が、まさか80年後に思わぬところで噂のタネになるとは思ってもみなかったでしょう(笑)

 

 

当時の大阪市が持つ先見性・技術力・土木技術は大日本帝国の最先端でもあり、「大大阪」と呼ばれた華々しい時代でした。
その数々の遺跡は、80年経った今の大阪市営地下鉄の随所、特に数々の隧道(トンネル)に垣間見ることが出来ます。

 

あの阪急電鉄創業者、小林一三ですら「地震大国日本に地下鉄など作ったら關さんの名に傷がつく」と反対した地下鉄建設。それでも曲げずに地下鉄工事を断行した、関 大阪市長(初代)の先見性に、私達は敬意を示すと共に、 これからも大切に使っていかなければいけませんね。

 

 

 

脚注

「大阪市高速鉄道に於ける小野式隧道工法工事報告」 – 土木学会誌  第二十四巻 第七号 昭和13年7月発行 (1938年)

 

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Photo/Writer:Series207
Remaked:2015/01/28




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