今から33年前の1987年(昭和62年)4月18日。
この日は、御堂筋線あびこ~なかもず間が開業した日です。あわせて、御堂筋線が全線開業した日でもあります。
御堂筋線→堺筋線→御堂筋線と延伸計画が二転三転
この区間の路線延長計画としては、1946年2月15日に遡ります。
戦後復興として国家が主導していた「国土計画交通委員会」という団体が出した案で、はじめて1号線(御堂筋線)のあびこ~なかもず延伸案が示されます。
この計画時には、中百舌鳥~鳳~浜寺~堺をつなぐ壮大な計画路線として案が練られていたようです。あわせて、堺では3号線(四つ橋線)との接続が取られていました。
その計画を受け継ぎ、1963年に改めて1号線なかもず延伸が答申されました。
しかし、1971年12月8日の都市交通審議会答申第13号において、当初予定されていた御堂筋線のあびこ~なかもず間の延伸案は削除され、代わりに動物園前止まりだった堺筋線が、天下茶屋を経由してなかもずまで延伸させる構想が作られていました。
この計画には、堺筋線を南海本線に乗り入れ、直通運転させてなかもずまで延伸する案も計画されていたようです。
しかし堺市が、堺筋線ではなく御堂筋線の延伸を熱烈にラブコールしたことや、当時の御堂筋線は輸送力が限界で現在の10両編成化が必要となり、8両編成までしか入れない当時のあびこ検車場では対応できなかったことから、御堂筋線をなかもずへ延伸させることの代わりに、堺市が車庫用地を提供することで合意。
そして、1987(昭和62)年4月18日、この区間が開業しました。
延伸後も泉北高速と直通運転計画
また、Wikipediaにはこうも記載されています
中百舌鳥への延伸時、当初は泉北高速鉄道と乗り入れる構想もあったが、両社局の軌間(御堂筋線は 1435 mm、泉北高速は 1067 mm)・集電方式(御堂筋線は第三軌条、泉北高速は架線式)・電圧(御堂筋線は 750 V 、泉北高速は 1500 V)および車両規格の相違などから見送られた
南海電鉄との直通運転は出来ませんでしたが、現在の泉北高速鉄道を北大阪急行のように第三軌条式にして、御堂筋線と直通運転させる構想もあったそうです。
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Photo,Writer :Series207 2017/4/06