【コラム】新金岡住民の悲痛な叫び…念願の地下鉄御堂筋線延伸

御堂筋線が中百舌鳥(なかもず)まで延伸したのは昭和62年のこと。ここ30年ぐらいのことです。

御堂筋線の南端終着地は長らくの間我孫子(あびこ)で、この新金岡への延伸は大正14年の計画時にもありませんでした。

なかもずへの延伸の理由は様々な観点からあるのですが、その中でも「金岡住民の悲痛な陳情」があったことを今日はお話したいと思います。

 

 

ニュータウン級の住人を抱える金岡団地

金岡団地は、日本住宅公団…今のUR住宅が初めて建設した日本初の団地として一部で知られています。この日本初の団地は、現在の「サンヴァリエ金岡」という名前で、新金岡駅よりはJR三国ヶ丘駅に近い地にあります。

この住宅を募集するにあたって、どうも地下鉄が建設されることが事前に案内されていたようなのです。

大阪府住宅供給公社は、昭和38年の都市交通審議会の答申および昭和41年の大阪市の計画を前提として、堺市金岡東住宅開発事業を新住宅市街地開発法に基づき施行し、昭和45年にほぼ事業を完了した。

都市高速鉄道は都市計画の根幹的な施設であり、他の諸施設も鉄道計画を前提として計画される場合が多い。金岡東住宅地開発事業と鉄道計画の間に整合性を欠くようなことがあっては、住民生活に支障をきたすことはもとより、今後、住宅、道路など都市施設の整備を推進するにあたっても支障をきたすことになる。

大阪府知事 黒田 了一『大阪市高速鉄道1号線の中百舌鳥への延伸について』(昭和46年11月2日)

 

この地には驚くことに千里/泉北ニュータウンと同程度の住人が住んでおり、現在でもそれは変わりないのですが、この当時は若年層が今より多く住んでおり、あわせて子供も多数暮らしていたと聞きます。

 

世は正に「交通戦争時代」…住人の悲痛な想い

当時は交通戦争と呼ばれた(日清戦争よりも死者数が多い為このような名前がついた)時代。小さい子供が多数住むこの地には、「交通事情が悪く、交通事故が多数起こっている」という問題もありました。

当時の悲痛な想いが込められた陳情書が記録として残っています。

一、まい日の通勤通学及び所用に大変困っている地元住民の声を尊重し、審議会に十分反映してください。

一、私達の入居時の案内に、昭和五十年迄にあびこから路線延長で地下鉄乗入れが出ており、そのことを信じて入居したのですから、そのとおり完全遵守してください。

一、最近団地内、周辺の交通事情が悪く、交通事故があいついて起っており、その解消に大量かつ、安全に輸送できる、地下鉄道を速やかに実現してください。

(但し書きに「同様の葉書163通」とある)

田中櫓一『陳情書』(昭和46年2月9日,大阪府住宅供給公社 理事長)

 

当時を回顧した投稿も

この記事を読んで、当時を回顧されたツイートを発信している方がいらっしゃいましたので、ここでご紹介します。

 

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