先日、様々な日本初が多い大阪市営地下鉄をご紹介しましたが、実はこんなところにも日本初がありました。
それは「日本初の地下鉄エレベーター設置」です。
日本初のエレベーターが設置されたその駅は、梅田やなんばなどの利用客の多い駅ではなく、意外にも谷町線の端っこの駅である…
喜連瓜破駅でした
年季の入ったエレベーター
1980年に開業した喜連瓜破駅は、開業当初からバリアフリーにいち早く対応した駅でした。
昭和55年製のエレベータ……灯具類にかなり年季が入っています
中の操作盤。ボタンを押すと黄色の光が浮かびあがり、どことなくノスタルジー。
「MMC」製のエレベーター
こちらは駅構内のエレベーター。駅外のものとさほど変わりませんね
大阪市営地下鉄初のエレベーターだけに、動画としても収録してきました
ひとにやさしいまちづくり…その先駆けともいえる駅ですね
最初のエレベーターは三菱電機製
三菱自動車のことを「MMC」と昔は略しましたが、こちらも「MITSUBISHI ELECTRIC CORPORATION」の文字が
ボタン類がすごくレトロです。
ボタン類はこんな感じ。
現在は油圧式エレベーターが登場し、あまり縦にスペースが取れない御堂筋線天王寺駅・難波駅1番線千日前線乗換え部などのような場所でもエレベーターを設置できるようになりました。
現在は地下鉄全駅に必ず1つはエレベータが設置されていますが、そのきっかけをつくったのが喜連瓜破駅だったのです。
ちなみに
1番目の駅は喜連瓜破駅(1980年)ですが、2番目の駅は長居駅(1981年11月・日立製作所製)、3番目の駅は北巽駅(1981年12月・日立製作所製)なのだそうです。北巽駅のものは近年リニューアル工事が行われ、現存していません。
当時の方針としては、身体障害者施設やバスターミナルとなる駅を優先的に設置していく方針であったようです。
市民団体「誰でも乗れる地下鉄をつくる会」の運動が原点だった
2008年の毎日新聞には次のように記載されています。
先月中旬、大阪市営地下鉄谷町線の喜連瓜破(きれうりわり)駅(同市平野区)。元「誰でも乗れる地下鉄をつくる会」代表でグラフィックデザイナーの牧口一二(いちじ)さん(71)=同市城東区=は、改札ホームとつながるプラットホームのエレベーター前で、顔をほころばせた。
東京メトロや名古屋の地下鉄、そして大阪の地下鉄など今では、「普通の光景」になった駅のエレベーター。28年前の1980年11月27日、地下鉄として全国初のエレベーターが設置されたのが、この喜連瓜破駅である。設置には、牧口さんら「つくる会」の障害者たちの4年にわたる地道な取り組みがあった(中略)
大阪に戻った牧口さんは、仲間と一緒に「つくる会」を76年に結成。地下鉄の駅にエレベーターを設置するよう、市交通局と話し合いを重ねた。交通局の幹部に車椅子に試乗してもらうデモンストレーションもした(中略)
「つくる会」の運動は実った。喜連瓜破駅のエレベーターの入り口には現在、「“ひとにやさしいまちづくり”を推進しています 大阪市」と書かれた縦横20センチのプレートが張られている。
-毎日新聞 2008年11月23日 大阪朝刊号より
牧口さんらのこの決死の行動が、日本全国にエレベーターを設置するきっかけになったのですね。
今では当たり前になった地下鉄のエレベーター。主要三都市ではどこでも見かける光景ですが、そのきっかけが大阪市営地下鉄であることに、うれしく思います。
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Photo,Writer : Series207 2015/08/03