今から53年前の1967年(昭和42年)3月24日。
この日は谷町線のはじめての開業区間となる、東梅田から谷町四丁目までが開業した記念日です。
御堂筋線のバイパス
谷町線は「大阪市高速電気軌道2号線」として計画されたところからはじまります。正式名称は「2号線」ですが、完成したのは4番目の路線です。
計画当初から、「梅田と天王寺を結ぶ御堂筋線のバイパス路線」としての宿命を与えられた路線でした。構想当初の経由地は以下の通り。
出典:「大阪市地下鉄建設五十年史」―1953年、369p
地図右上にある森小路から梅田までを通り、松屋町筋を経由して天王寺にたどり着く…というルート。このタイミングではまだ天王寺以南については計画がなく、東住吉・八尾南方面へは千日前線が担当していました。
こちらの記事にも書きましたが当時はいくつかの駅がなく、さらに梅田駅は現在の大国町のように、御堂筋線のトンネルに横付けされる計画でした。
バイパスとしての機能を持たせるべく、特に梅田については現在の大国町のように御堂筋線ホームの隣に作る計画でしたが、地盤が軟弱で御堂筋線ホームですら落盤事故が多発した為に断念せざるを得ず、長らく車庫用地として使用されていたのは有名な話です。
そのため、場所を曽根崎警察署に隣接する東梅田駅へと移動、現在の姿となったのでした。
50周年時の谷町線では、開業50周年を記念したパネル展が行われていました。 撮影:新御堂筋様
谷町線は、華々しい御堂筋線の影にかくれがちな存在で地味ですが、昔から着実に黒字を積み重ねる大阪メトロの優良路線なのです。
この辺の事情については、弊著「マルコに恋して」で詳しく記載していますので、こちらも併せてどうぞ。笑