【ここまで揉める?】堺筋線vs阪急、苦闘の相直バトル

【ここまで揉める?】堺筋線vs阪急、苦闘の相直バトル

大阪市営地下鉄として初めての相互直通運転路線、堺筋線。

これまで乗り入れを頑なに拒否していた大阪市が、初めて直通をした地下鉄路線です。

 

それだけに、乗入れ実現に際しては揉めに揉めに揉めに揉めに揉めた路線でもあります。

特に一番揉めたのは、この相互直通運転に使用する電車関係

 

堺筋線は60系を、阪急は3300系を新たに作ることになるのですが、まあ体寸法から信号装置に至るまで両者一歩も譲らない譲らない…

 

今日は「こんなことまで?」と思うような揉め事を、過去の資料から掘り返してみます。

 

電車関係

R1:種別標識について

大阪市「幕にしたい」
阪急「板にしたい」

まずは種別を外向けに表示するのは「方向幕」か「板」かという問題。結果的には大阪市の方向幕を採用しました。

地下区間では板は見えにくいし、落下する危険性がある…ということからなのでしょうか。

尚、これを裏付けるかのように民営化までは大阪市交通局のヘッドマークは原則ステッカーでした。

 

 

R2:乗り入れる区間は?

大阪市「高槻市まで」
阪急「茨木市まで」

「大阪都市圏で普通列車の範囲だと北千里・および高槻市まで」「優等列車の場合は河原町まで」という考え方から、大阪市は普通列車の乗り入れに関しては高槻市までを主張。

一方、阪急は「乗務員の手当がつかない事」「車両数が足りない」事を理由に茨木市までを主張していました。

結果はおそらく高槻市までとなったようです。当時のダイヤはないものの、開業時の写真で「高槻市」と表示しているものが見つかっています。

 

 

R3:車両のドア数は?

大阪市「絶対4ドア車」
阪急「絶対3ドア車」

論争が激しかった部分の1つ。これは素人目から見ても確かに大阪市交通局側が4ドアにこだわる理由はわかります。

当時の御堂筋線は通勤地獄とも形容される異常な混み具合で、30系以前の電車はドアが3つしかなく、駅での乗降時間に非常に時間を取られてしまって全体の輸送効率が落ちるという苦い経験がありました。

それを踏まえると、大阪市交通局側としては4ドアにこだわるのも当然でしょう。

 

一方、阪急としては3ドアとすることで、座席をなるべく多く配置したいとの思惑がありました。

3ドア・4ドアが混在していると最も迷惑を被るのは乗客と駅員さんであり、幸い堺筋線には御堂筋線のような大きなターミナル駅がないことから「御堂筋線ほど混雑はしないだろう」という予想のもと、阪急側の3ドアになりました。

 

 

R4:車体長

阪急「18.3m」
大阪市交通局「18.0m」

論争が激しかった部分その2。

大阪市交通局としては、30系の前身となる「7000-8000型」において18mジャストが通勤電車の理想形として絶対的な自信を持っていました。車体の軽量化と強度維持の両面から見て非常に効率的な数字だったようです。

阪急は「自社線へ乗り入れるなら絶対18.3mにあわせてほしい」と頑強な態度をとっていた…とあります。

阪急側の18.3mというのは、車体強度と軽量化についての理論解析が不完全な時代に決められた古いのものとして見られ、大阪市交通局としては時代の流れに逆行するような事はできないというお互い全く譲らないものでした。

結局ここはどちらもが折れ、間をとって18.2mとしました。

 

R5:車体幅

阪急「2700しかない。運輸省から指導を受けた」
大阪市「2800しかない。運輸省が2800が望ましいとしている」

車体長に続いてこちらも一歩も譲らなかった部分。なんというか、どちらも車両へのこだわりは凄まじいものですね…。

結果はこの資料には記されていないのですが、60系の幅が2,820mm、3300系の幅が2,809mmとなっていることから、大阪市交通局側の2,800mmが採用されたものと見られます。

阪急は当時神戸線・宝塚線で採用していた2,700mmを京都線へも適用したかったものと見られますが、そもそも新京阪(阪急京都線の前身で京阪電鉄の子会社だった路線)時代に走っていたP-6が2,790mmと幅広車体であったことから、そこを大阪市に指摘された阪急側が折れた…と別の書籍に記されています。

 

 

 

R6:保安装置

大阪市「ATC、これしかない」
阪急「ATSで充分」

保安装置についてもお互いのプライドが激突。

大阪市交通局では5号線(千日前線)で採用し実績を挙げていたATCを6号線(堺筋線)にも適用させることを当然考えていました。ところが阪急はATSで充分との対応を崩さず。

両者協議の上、妥協でATS・ATCの併用になりました。

 

 

駅関係

R7:発車標について

阪急「天六南行は地下鉄の発車標でいいけど、北行は阪急形式にして」
大阪市「システム上無理」

結果的には、両者の折衷案となったようです。

 

当時の写真を見てみると、左側にある天神橋筋六丁目北行き(2番線)ホームの発車標は、大阪市交通局標準の「次の列車案内」と、阪急が希望したロール式行先案内とのハイブリッドタイプでした。

 

 

R8:天六での引き継ぎの時

大阪市「非常ブレーキ位置で渡す」
阪急「常用ブレーキ位置で渡す」

R9:地上・地下切替スイッチ

阪急「引継ぎされた運転士が切り替えるべき」
大阪市「引継ぎをする運転士が切り替えるべき」

このあたりは記述がなく、結果的にどうなっているのかわかりませんでした。

それにしても、こういうところまで議論になるとは…

 

乗務所関係

R10:デスク

~乗り継ぎ駅となる天神橋筋六丁目駅の扱い~

大阪市「天六に阪急用デスクはいらない」
阪急「いる」
大阪市「阪急の係員は配置しないからいらない」
阪急「日常業務は交通局に任せるが、阪急の終端駅でもあるので乗務員の管理はさせたい、だからいる」

ここもどうなったのか不明。中に入れたらいいんですが、まぁ無理ですね笑

天神橋筋六丁目駅の関係者室に入れる方からの情報提供、お待ちしています。

 

 

総括

以上、非常に多岐にわたる交渉…もといガチンコバトル、いかがでしたでしょうか。

この他にもたくさんあるのですが、議事録に書かれた文字には筆記体で書かれた難解な文字が多く、読解には少し時間がかかりそうです。

 

このやり取り、大阪市交通局内部では「6号線対策委員会」を略して「六対」と称され、上述の通り電車の行先から幕にするか板にするかまで、1年半にわたって非常に細かなやり取りが行われました。

 

 

当時携わった方の文献を見てみると、このような文言があります。

できるだけ大阪市営地下鉄の方式、性能で誕生させたかった。
しかし、阪急も当然に阪急方式で乗入れたいと考えている。交渉は難航を極め、さきのような激しい発言が出てくるのである。

出典:大阪市交通局互助組合鉄道部「6000が走る~6000が走る紅いほっぺの電車30年の記録~」1999年11月

 

阪急は自社の利益・プライドと株主の利益で、大阪市(交通局)は市議会議員と工場長を先頭にした車両関係の方のプライドでそれぞれ圧力をかけていたとあり、両者共にバチバチのバトルであったことは想像に難くありません。

 

ただ、どちらも「六対」の他に御堂筋線・北大阪急行の「一対(1号線対策委員会)」もあり、堺筋線の交渉の場であまりに強く出すぎると、今度は御堂筋線の方で支障が出るからここは譲歩…という取引もあった模様です。

 

 

難産の末生まれた堺筋線、および堺筋線直通車両。

堺筋線は既に初代60系は廃車されて2代目の66系が活躍しており、阪急側もしぶとく残っていた初代3300系が1300系によってようやく淘汰され始めています。

 

 

関連リンク

【堺筋線】受け継がれる6の系譜…歴代車両を比べてみた

 

参考文献

大阪市交通局互助組合鉄道部「6000が走る~6000が走る紅いほっぺの電車30年の記録~」1999年11月

大阪市「阪急との2者協議(第一回車両部会)」昭和41年1月7日

 

 



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