どうも沿線の方を中心にあった噂らしい、御堂筋線の津久野延伸構想。
堺市の「市民の声」にも延伸希望のページがあったり、堺市に在住経験のあるBEのぶさんやぷにぷにさんが口々に「聞いたことがある」と仰るこのお話。
1980年代ですが、津久野界隈で流れてた御堂筋線延伸の話も井戸端の話から尾ひれがついた話なのだろうなと思います。津久野ではなく、途中のときはま線沿線(最寄り駅から遠すぎ)の人は悦ぶかもしれないけれど、そこまでメリットあるかなと今になって思いますね。
— 米澤光司(BEのぶ)@昭和史探偵 (@yonezawakouji) May 25, 2021
https://twitter.com/punitter39/status/1397166528617877507
果たして正式な構想がどこかの時点であったのか、それとも単なる噂話に尾ひれがついただけなのか……詳しく調べてみました。
延伸ルートはどうやって決まる?
そもそも、地下鉄の延伸計画は大阪市や堺市の自治体だけでなく、運輸省や国土交通省が主宰となり、各方面の有識者を集めて開かれる「都市交通審議会」という機関が決定します。
各年の報告がありますので、新しい順に振り返ってみましょう。
近畿地方交通審議会答申第8号(2004年)
大阪市営地下鉄について言及されているのは千日前線・長堀鶴見緑地線・今里筋線・9号線の4路線のみで、御堂筋線については記載がありません。
答申第10号(1989年)
答申年月 – 1989年(平成元年)5月31日
答申名 – 「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」
こちらには、御堂筋線そのものの記載がありません。
答申第13号(1971年)
答申年月 – 1971年(昭和46年)12月8日
答申名 – 『大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網整備増強に関する基本的計画について』
この時点では、御堂筋線ではなく堺筋線が杉本町を経由して中百舌鳥まで延伸することを検討しています。
答申第7号・3号
答申年月 – 1963年(昭和38年)3月29日
答申名 – 『大阪市及びその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について(7号)』
答申年月 – 1958年(昭和33年)3月28日
答申名 – 『大阪市及びその周辺における都市交通に関する答申(3号)』
1975年あたりに実現すべきとされた、2つの答申。
御堂筋線の路線図部分を見ると……当時終点だった我孫子東5丁目の記載があり、その先に「堺市東部」という曖昧な書き方がなされています。
「これが根拠になっているのか…?」とも思ったのですが、もう少し遡るとより具体的な話がありました。
国土計画交通委員会(1946年)
戦後すぐである1946年1月22日・2月15日に開かれた委員会。ここには次のような図示があります。
・1号線(御堂筋線)…我孫子~中百舌鳥~鳳~浜寺~堺
・3号線(四つ橋線)…住之江公園~南加賀屋~三宝車庫前~堺
極めて概略的な地図ですが、「第一号線終点」とされた我孫子から先に赤線が引かれており、中百舌鳥~鳳~浜寺~堺の補足書き込みがあります。これら経由地の最短ルートを通るとすると、確かに途中に「津久野」は存在します。
公文書で、はっきりとこの周辺を経由している記載があるのはこの1946年のものだけです。
現在の地図に当てはめて見てみましょう。
1946年時点で堺市が常盤浜寺線の都市計画道路を構想していたかはわからないので、上の赤線は常盤浜寺線があった場合の仮定、下の赤線は都市計画道路を一切無視して、純粋に経由地をつないだ場合の仮定として描画しました。
どちらにしても、JR津久野駅の少し南端側を経由することには変わりなく、仮にこの構想が出来ていたのなら、津久野駅が出来ていたことは間違いはないでしょう。
まとめ
ということで、今回の噂は「津久野かは若干曖昧なものの、一応元になる話はあった」という決着でした。
戦後すぐに新聞などへ掲載されたか、あるいはこの計画を知っていた役人さんが、ぽろっと漏らしてしまった話を基に形成されたのかもしれませんね。
ちなみに、現在御堂筋線なかもず駅南端部先には、常盤浜寺線のアンダーパスが通っていて一見通れなさそうに見えます。
が、道路が地下深度が浅いところを通っていそうな感じもあり、将来的に御堂筋線を延伸できるようにしているものと思われます。
追記
タイトルを
「御堂筋線、津久野にいつ着くの?」
に変えればPVアップ間違いなし(オイ— 米澤光司(BEのぶ)@昭和史探偵 (@yonezawakouji) May 29, 2021
今ひとつ記事の伸びが微妙なので、BEのぶさんのアドバイス通り題名を変更しておきました。笑
さてどうなるか…w
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