めちゃくちゃマニアックではありますが、地下鉄を形成するにあたってなくてはならないトンネル(隧道)。
2025年現在の工法では大まかに2つのタイプがあり、概ね円形トンネルはシールド工法、函型(長方形)トンネルは開削工法となっています。
大阪メトロは戦前から地下鉄を作ってきたこともあり、実は他都市よりもトンネルのバラエティが豊富なんです。
そこでこの記事で、大阪メトロで使われている主なトンネルの形状を解説していきます。
開削工法
開削(かいさく)工法は、簡単に言うと上から穴を掘って、後で埋め戻すスタイルの工法です。穴の形は長方形になります。
最も建設費が安く、高度経済成長期に作られた路線には多用されました。
上から穴を掘るので、工事中は地上の道路を通行止めにしなければいけないデメリットがあります。
大阪市では道路の下に地下鉄を通す原則があるので、他都市と比べると開削工法のトンネルが多いように思います。
後述するシールド工法が発達したこともあり現在はあまり用いられないものの、駅の建設時には今でも主流のスタイルです。
シールド工法
現在の主流となっているのがシールド工法です。
シールドマシンと呼ばれる機械で、横から穴を掘り進めるスタイルです。トンネルが円形になるのが特徴です。
こちらがシールドマシン(の先端部分)。この大きな機械でトンネルを掘り進めていきます。
穴を掘りつつ瞬時にセメントでトンネルを作っていくので、上から穴を掘る・埋め戻す工程がなくなり、地上の道路交通に影響を及ぼさなくなります。
これ以外にもシールド工法のメリットは多数あり、
・上から穴を掘らないので、川の下を掘れる
・交通制限や深夜施工をしなくて良いので、人件費の圧縮にもなる
・何時でも掘削できるので工期が早い
・振動、騒音などの公害が少ない
・地下深くを掘れる
など地下トンネルにうってつけの良条件から、現在の地下鉄は駅以外の殆どがこの工法で作っています。
日本初のシールドトンネルは、名古屋市営地下鉄東山線の覚王山付近(昭和37年)でした。
大阪メトロ初のシールドトンネルは、谷町線建設時の1964年(昭和39年)に用いられた「谷三シールド」です。
次いで1965年(昭和40年)には谷町四丁目~森ノ宮間で、日本初の複線シールド「法円坂シールド」が用いられました。
以上を見ると利便性が高いシールド工法ですが、駅建設時においてはあまり使用されません。これは
・シールドマシンが一方向にしか進めないので、1⇔2番線へホーム連絡口が作れない
・地上への連絡口を作る為に、結局上から掘る必要がある(→じゃあ開削でいいよね)
・後述する特殊な「3連シールドマシン」等を作ってもその駅しか掘削出来ない。費用も高くなる
などの理由が挙げられます。
様々なバリエーション
シールドトンネルには、比較的多くのバリエーションがあります。
1.複線シールド
中央線谷町四丁目~森ノ宮間で採用されたのが、日本初の複線シールドトンネルです。
この区画は、良質粘土層を持った上町台地であり地盤が安定していること、また谷四・森ノ宮の両駅付近にポイントを設置する必要があったことから、前代未聞の複線シールドとなりました。
令和の現在でも採用個所はあまり多くなく、大阪メトロでは千日前線の阿波座~玉川間で、その他では近鉄難波線などで採用例が見られます。
【大阪メトロにおける複線シールド例】
・中央線 谷町四丁目~森ノ宮「法円坂シールド」
・千日前線 玉川~阿波座
2.阿倍野駅
原則的に駅へは用いられないシールド工法ですが、例外的に阿倍野駅ではシールド工法によって駅が作られています。
これは地上を通る「あべの筋」の交通量が多いことや、路面電車である阪堺電車が走っていて通行止めにできないことから、特例的に採用されたものです。
もう少し具体的に書くと、以下の理由が挙げられます。
・車はもちろん、商店街で歩行者も多い
・阪堺上町線がある関係で終電~始発の4時間しか工事の時間がない
・阪堺の架線が張られている為、地上5m以下でしか作業できない
・地下の埋設物もたくさんある
・道路幅員が23.6mしかなく、交通制限が行えない
ホーム両端は、出来たシールドトンネルの側面同士を切り広げて島式ホームとしていますが、その他は2か所の連絡口を除いて独立した区画となっています。
ちなみに日本初のシールド駅は、東京メトロ東西線の木場駅です。
このあたりは地盤が沈下する軟弱地盤かつ5つの河川をくぐり、当時運行されていた路面電車・船舶の通行止めなどを行う影響が少ないことから採用されました。
3.「3連マルチフェイスシールド」
長堀鶴見緑地線大阪ビジネスパーク駅では、「3連マルチフェイスシールド」という特殊な工法で駅が作られています。
先述したように、阿倍野駅では単線並列のシールドを掘って、側面を切り広げて駅を作っていましたね。
しかし大阪ビジネスパーク駅は、複数の河川をくぐる関係で地下32mという大深度に駅を作ることから、地中での切り広げ工事が難しい側面がありました。
あまりに地下深くになると上からの荷重・圧力も相当増えるので、最悪崩落する危険性があります。
そこで「線路・駅・線路」で使用する3つのシールドトンネルを並べて、一緒に掘り進めて駅を作っちゃおう!というのがこの3連マルチフェイスシールドの特徴です。
非常に難しい難工事であったことや、世界初の3連シールドによる駅建設ということもあり、この工法は土木学会の技術賞を受賞しています。
沈埋トンネル/潜函トンネル
沈埋トンネル
沈埋(ちんまい)トンネルは、川や海などへ鉄道を通すときに用いられる工法です。
あらかじめ海や川へ溝を作り、そこへ地上部で作っておいたトンネル部分を海や川へ沈めて、上から土をかけて完成します。
2025年に開業した夢洲駅へのトンネルでは、この工法が用いられました。
日本で初めてこれが用いられたのは、1944年に出来た大阪の安治川トンネルです。
現在でも供用されています。
この他、大阪メトロでは
・堺筋線 北浜付近(堂島川や土佐堀川)、および日本橋付近(道頓堀川)の沈埋トンネル
・大阪港~コスモスクエア間の「大阪港咲州トンネル」
・夢洲~コスモスクエア間の「夢咲トンネル」
の3つで用いられています。
潜函トンネル
原理的には沈埋トンネルと同じで、先にトンネルを作ってから地中へ沈めるものです。ニューマチックケーソン工法とも呼ばれます。
日本初の潜函トンネルが、御堂筋線の難波~大国町間(難波元町3丁目~敷津町1丁目)で採用されています。
部分的な採用例としては昭和7年(1932年)の梅田~淀屋橋間でもありますが、トンネルを作ったのは初めてのことです。
この区間では、西側に路面電車(大阪市電)が、東側に民家があった(騒音に配慮した)関係で通常の開削工法で作れませんでした。
またこの時代はシールド工法も一般的でなかったことから、30mの長さにわけたトンネル構体を14個に分けて作り、合計410mの区間を作り上げたのでした。
小野式隧道
ここからは他都市ではあまり見られない、ちょっとマニアックなトンネルになっていきます…。
北海道帝国大学の教授・工学博士であった小野 諒兄(おの りょうえ)氏が考案したのが、小野式隧道(工法)です。
御堂筋線大国町~動物園前(戎本町2丁目~花園北1丁目のJR関西本線との交差部から南側にある約52m間)で用いられているものです。

シールドマシンがまだ無かった時代、また日中戦争の始まりで資材を少なくするよう要請されたこともあり、横から掘削する工法として考案されました。
小野博士の方法は前記三条件を目標に先ず道路面から両側にIビーム(鉄くい)を打込んで地下鉄の側柱とし、地下において横梁と籠梁を組合せ籠状をつくり土圧を受けて後、
中央を掘鑿し最後に籠状をコンクリートで被包し地下鉄構造物となす方法である、即ち道路両側に五尺または六尺間隔に鉄くいを打込み工区の初めの端に出発坑を掘鑿し
両側鉄柱の間に横梁を電気溶接によってむすび合せその上端から数列の天井縦梁を挿し込む、縦梁には土留板を施しつつ下部を掘鑿して次の鉄柱に至る、
この順序を繰返して地下鉄を構成するものである、この方法によれば表面まで掘鑿する必要はなく従って交通障害は少い、且最初に鉄くいを打込むから従来のトンネル法の如き
路面の沈下を防ぎ施行法も簡単で費用は約三分のニですむ、しかも耐久力は結果の構造が同じだから従来同様である、
費用を見るに従来の方法では一哩につき構造物百六十万円、準備費百七十万円、小野博士の方法では準備費は全然なく合計二百三十万円ですむから一哩につき約百万円浮くことになる、報知新聞 1935.12.15(昭和10)付 記事
並びに神戸大学Webサイト、http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00097672&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JAより
しかしコンクリートが打ち込みづらく、防水加工が出来ないこともあり、雨漏り・地下水の漏水が止まらくなったことから、モルタルを大量に吹きかけてなんとか抑えています。
1953年(昭和28年)の2~3月にかけて、セメント注入による補修を、また2006-2007年、および2008年頃にも補修工事が行われるなど、かなり難儀な区間になったようです。
・鋼板接着とアラミド繊維・ブラケット補強による躯体コンクリートなどの構造物を補強
・鋼板に腐食防止のための塗装を行った
ちなみに、この小野式隧道工法は東京メトロ銀座線の新橋駅JR連絡口にも採用されており、この2例のみが適用例となっている珍しいトンネルです。
無筋アーチ逆巻トンネル
昭和13年に天王寺駅西側の80mで試験的に作られたのが、無筋拱型(アーチ型)逆巻トンネルです。パリの地下鉄でよく用いられる工法です。
原理としてはアーチトンネルの壁を土の中で先に作っておき、その後で中に残った土を抜いて(掘って)トンネルにする…というものです。

見た目はシールドと似ていますが、
・シールド工法は横から掘り進めていく(埋め戻し作業がない)
・アーチ逆巻工法は、トンネルを土の中で先に作り、中の土を抜いて隧道を完成させ、最後に土をかけて埋め戻す
という点で違いがあります。
この時代は日中戦争が始まった時代で、当時の日本軍から資材の節約を厳命されたことから考案された形状ですが、この後に書く四つ橋線の施工にも関わってくることになります。
無筋アーチ(拱型)トンネル
昭和17年の戦時中に四つ橋線大国町~花園町~岸里間の一部区間にて用いられたのが、無筋アーチトンネルです。
先ほどの無筋アーチ逆巻トンネルと似ていますが、こちらは普通に「上から掘ってトンネルを作ったら埋め戻す」シンプルなものです。
当時の資材不足で鋼材が手に入らないことから鉄筋を省き、その代わりにコンクリートを二倍にして拱型(アーチ型)にして作られたトンネルです。
アーチ状になっているのは、強度が強いことや、地上の重さから来る圧力・荷重を分散できることが理由です
鉄筋がないコンクリートだけのトンネルは引張力に弱くなるため、圧縮力だけで成立するアーチが適しています
戦時施工ということもあるのか、特に床面と壁面との間から水漏れが激しく起こり、昭和21年には24回もの運休が発生したそうです。
戦後、セメント資材が潤沢に手に入るようになったことで緊急の補強工事を実施。現在では漏水は止まっています。
また、御堂筋線の天王寺~昭和町間の一部区間(阿倍野区役所~阪神高速付近)でも用いられています。
ここは戦時には完成しなかったものの、構体構築だけは行われていたようで、戦後この区間の建設時にわざわざアーチ状にトンネルを掘って既存構築と合わせたようです。
花崗岩隧道
戦時による資材の枯渇により、四つ橋線岸里駅から北70mは花崗岩による石積みトンネルが作られています。
強度などは問題ないようですが、非常に高価で手間がかかることから、現在では採用されない工法です。
おわりに
マニアックな大阪メトロの地下トンネルの世界、いかがでしたでしょうか。
前面展望をしていると、「何か形が違うぞ…?」と思われる方も少なくないはず。
そんな疑問を持った時、ふとこの記事を思い返していただけると幸いです。
関連リンク
参考文献
- 大阪市交通局『大阪市地下鉄建設五十年史』、1983年5月
- 建通新聞『交通局 小野式隧道改良工事 7月にも公告』、2008年6月17日
- 土木学会誌『第二十四巻 第四号 昭和13年4月発行 (1938年)』「大阪市高速鉄道に於ける小野式隧道工法工事報告」、光井三郎
- 橋本敬之『アルス土木工学大講座 第10』,アルス,昭和12年
- 大阪市交通局工務管理事務所長居工事管区、森之宮保線管区『第1号線大国町~動物園前間 小野式隧道部耐震補強工事の施工について』
- 高崎 肇, 田中 益弘, 玉井 達郎, 西田 昭二, 清水 賀之『3連MFシールドの姿勢制御に関する研究』、1997年
- 光井三郎『無鉄筋コンクリート拱型隧道工事報告』,土木学会誌,1938年2月
- 光井三郎『大阪市高速鉄道工事に就て-特に潜函工法に就て-』,土木学会誌,1939年7月