【今日の記念日】1月29日:大阪市営地下鉄 梅田~心斎橋起工式

【今日の記念日】1月29日:大阪市営地下鉄 梅田~心斎橋起工式

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牛・人・車に引かれて御堂筋をゆく100型
出典:http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000106885.html

今から88年前の1930年(昭和5年)1月29日。この日は、御堂筋線梅田~心斎橋間の起工式が行なわれた日です。

記念すべき大阪市営地下鉄の第一歩は、ここから始まりました。

 

我孫子まで一気に作る予定だった

御堂筋平野町において盛大な起工式を行い、第一期線としてまずはこの区間から建設に入りました。当初の第一期線計画として、1号線(御堂筋線)は我孫子~南方まで、昭和11年をめどに一挙に開業させる算段であったようです。

しかしながら、この計画時は昭和町以南が高架での建設予定であったなど、地下式に比べて建設が比較的容易である高架部分がかなり含まれており、昭和14年の計画変更で全線が地下式になったことから、整備は遅れて進むことになります。

関一

出典:http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/520_1.html

御堂筋線の建設計画を練ったのは、大阪市の父、関 一(せき・はじめ)第7代大阪市長です。大蔵省の官僚から東京商業大学(現在の一橋大学)で教鞭をふるった後、大阪市助役から市長になりました。

社会政策、および都市計画論を専門としていた関市長は、その理論を大阪市において実践し、大大阪時代と呼ばれる大阪市の繁栄を築いた立役者です。

「あさが来た」でも登場した五代友厚と共に、大阪の繁栄の礎を築いた、偉大な方です。

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出典:http://finestable.exblog.jp/21665103/

有名な話ですが、建設当初から12連にまで対応した長いホーム(当時の基準。現代の車体長だと8両)や、大きなドーム型駅舎など、関市長の盛大な都市構想に基づいた地下鉄の建設は、現代の御堂筋線でもほとんど手直しなしで80年間運行できるほどであるなど、「大阪百年の計」として都市計画を作り上げた、偉大なこの関市長の功績によるものです。

あまりにも過大投資であるとして、市議会より横槍が入り大国町以南・中津以北については8両での再設計を余儀なくされますが、結局10連化工事でこれらの箇所の工事を手こずった様子を見ると、関市長がいかに将来を見据えていたのか、先見の明があったのかがわかりますね。

この当時、東京市よりも人口が上回り、当時の内務大臣である後藤新平が「都市計画の範を大阪に求める」とまでに言わしめるなど、名実ともに大阪市が日本のトップにあり、それが実現できたのはまさしくこの関市長があってこそでした。

御堂筋線の恩恵を精一杯受けている大阪人は、この関市長に足を向けて寝られないですね。

 

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Writter:Series207  2017/01/25

Rewrite:2018/01/21




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