今から82年前の1933年(昭和8年)5月20日。
この日は、大阪初の地下鉄、御堂筋線梅田(仮停留所)~心斎橋間が開業した歴史的な記念日です。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=fM8r9pFb75I
昭和8年、大阪初の地下鉄である梅田仮停留所~心斎橋間が開業しました。
当時の梅田駅は軟弱地盤であったことに加えて駅構造が壮大で、昭和8年に建設が間に合わず、昭和10年まで暫定的に仮停留所で開業しました。
梅田仮停留所。このホーム跡は現在でも残っており、梅田駅~淀屋橋駅間で壁をじっと見ていると見ることが出来ます
出典:http://www.log-osaka.jp/history/vol16/hst_vol16_1.html
梅田仮停留所。モダンな白熱灯が用いられていたが、照度不足で薄暗かったようです
当初から「大大阪」の発展を見越し、運行車両は1両であったのにも関わらず、将来対応を考えた17m級車両で12両編成の車両が止まれるような駅構造でした。
後に過剰投資が過ぎるとして大国町以南は8両編成対応に縮小されますが、結局現在は18m級の10両編成の車両が行き交いしており、実に先見の明があったといえます。
牛・人・車に引かれて御堂筋をゆく100型
出典:http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000106885.html
平野町3丁目に作られた搬入口。
出典:http://www.city.osaka.lg.jp/somu/page/0000062075.html
この牛や人に引かれて大阪の街を行く有名な写真は、梅田貨物駅から搬入口であった平野町3丁目まで100型を牽引する風景です。所要時間はなんと4時間もかかったのだそうです。
出典:http://finestable.exblog.jp/21665103/
当時の大阪市が持つ先見性・技術力・土木技術は、それぞれ大日本帝国の最先端であり、「大大阪」と呼ばれた華々しい時代でした。
その数々の遺跡は、80年経った今の大阪市営地下鉄の随所、特に数々の隧道(トンネル)に垣間見ることが出来ます。
地下鉄建設にあたっては、「こんな地盤の悪いところに地下鉄を造るなどもってのほかで、工事の比較的容易な高架線路にすべき。」との意見が多く、あの阪急電鉄創業者、小林一三ですら「地震大国日本に地下鉄など作ったら關さんの名に傷がつく」と反対しています。
それでも尚、将来の大阪の為にと地下鉄建設を断行した、関 大阪市長(初代)と清水凞 建設部長の先見性に、私達は敬意を示すと共に、 これからも大切に使っていかなければいけませんね。
関市長は初志貫徹で地下鉄建設を貫き、
「地下鉄のほうが地震に強い。それに都市空間を有効利用するためには地下のほうがいい。最初にお金はかかるが、長期的に見れば安くなる。それに地下なら空襲の被害も避けられるし避難場所にもなるではないか―」(1
と述懐しています。
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参考文献
1)『SUBWAY 第210号 ~ 100年の計で大阪の都市基盤を築く ~「關 一」編』一般社団法人 日本地下鉄協会,2016年8月
大山 勝男 『「大大阪」時代を築いた男 評伝・関一』 58p