【定点観測】2020年と1930年代、写真で感じる大阪地下鉄の80年

【定点観測】2020年と1930年代、写真で感じる大阪地下鉄の80年

大阪市営地下鉄の基本計画が出来て今年で94年、心斎橋-梅田に地下鉄が出来て今年で87年になります。

駅によって開業年度はまちまちですが、概ね梅田~天王寺間は1930年代の昭和レトロと呼ばれる時代に完成しました。

今日は、そんな昭和レトロだった大阪市営地下鉄の今と昔を写真で振り返ります。(先日動画でも公開しましたが、記事としてもう一度まとめ直しました。)

 

1期開業区間

梅田仮停留所

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出典:『大阪市交通局百年史』 568p

梅田駅は工事が間に合わず、開業当時は仮停留所として開業したのでした。

出典:『大阪市地下鉄建設70年のあゆみ』(大阪市交通局,2003年9月)

現在のなかもず行き方面線路を車両線、千里中央行き方面線路上に仮のホームを立てていたようです。柱はこの当時を象徴するリベット留めの柱です。

 

出典:『大阪市地下鉄建設70年のあゆみ』(大阪市交通局,2003年9月)

梅田(仮停留所)ホーム上。夜間留置時に撮られたのでしょうか、本線上に100型が縦列停車しています。

現在の同位置。駅の跡はなくトンネルとなっており、右側の線路に仮の停留場が設けられていました。

現在は営業列車が最短2分間隔で走るため、現地に入ることが出来ません。しかし、列車内から遺構は確認することが出来ます。上記写真で見えたリベット構造が現在でも残っていますね。

 

当時の梅田仮停留場設計図。これを見ると、現在の阪神百貨店梅田店あたりに仮停留場が設置されていたようです。

 

 

 

梅田本駅

出典:「地下鉄50年のあゆみ」

2年後の昭和10年、梅田本駅が完成しました!ドーム状の広々とした駅で大きそうに見えますが、この写真を見ているとプラットホームの有効長は3-4両程度だったようです。

 

出典:「地下鉄50年のあゆみ」https://205-161-205.at.webry.info/200905/article_2.html

反対側から。行灯を重ねたような意匠の照明が素敵。

この特徴的な行灯照明の意匠は、現在梅田駅北コンコース部分にてリバイバル復活しています。

令和の時代に再びこれがお目見えしようとは…

現在の梅田駅を上図写真とほぼ同位置から。昔と比べると、随分明るく綺麗な駅になりました。

 

淀屋橋

隧道真ん中に照明が。駅名標の上に補助灯が設置されるなど、今から見ても極めてモダンなスタイルでした。看板も最小限でスッキリとしています。

淀屋橋駅はクリーム色の天井に水色のタイルが敷き詰められていた、と当時の新聞にあります。

 

淀屋橋が水にちなんで水色、そしてプラットフォームには柱の一本もない大アーチではじめてみるものは誰でもアッ!と驚く

出典:大阪朝日新聞、1933年5月13日号

 

 

現在の淀屋橋駅は、なぜかレトロ調に回帰してしまいました。(仕方がないですが)エアコンもついて視界は悪くなっています。

 

ちなみに、かつて淀屋橋駅として使用されたのは北側部分のみ。南側は大阪市営地下鉄最初の検車場である「淀屋橋出張所」として供用されました。

 

本町

資料:「工事画報 昭和9年版」(提供:@keyboar様)

本町駅は他3駅と違ってドーム状の駅にはならず、真ん中に大きな支柱がある駅でした。

それでも屋根方向の高さは大きく取られており、支柱に円状の照明が設置されているのがモダンな雰囲気。

資料によると、ピンク色のタイルによって装飾されていたのだそうです。

 

本町驛は桃山時代にちなんで桃色、こゝは大圓柱がホームの中央に立ちならび輝しいシャンデリアに地下驛をといふより大殿堂の観がある

出典:大阪朝日新聞、1933年5月13日号

 

現在の本町駅。屋根部分はRがついて流麗な雰囲気になった他、近年パネルが張り替えられてアーバンテイストな駅舎へと変貌しています。

もう少し屋根周りの看板の多さ、ゴテゴテさがなんとかなれば言うことなしなのですが…

 

心斎橋

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出典:http://finestable.exblog.jp/21665103/

心斎橋駅は、天井からシャンデリアが吊り下げられ、アーチ状屋根の線は2本になっています。

 

 

 

現在の心斎橋駅。ブラッシュアップリニューアルの工事前ということもありますが、どことなく暗い雰囲気。

屋根部分はツギハギ?のように欠落したタイルだけを補修したと見られる部分があったり、ホコリで黒ずんでいたりと、お世辞にも大阪を代表する繁華街駅とは思えません。

これだと開業時のほうが良かったかもしれませんね…

 

 

2期開業区間

難波

出典:『大阪市電氣局四十年史 運輸篇』

難波駅は大阪で初めての中階がある地下鉄駅として開業しました。当時は島式ホームでした。

自著「マルコに恋して」で詳しく記載していますが、元々はこの区画に地下商店街構想があったようです。

 

同位置から。元々あまりホームスペースが広く取られていなかったことから、1987年に2番線ホーム増設工事を行い、1番線と2番線ホームを分離させています。

 

出典:『大阪市地下鉄建設70年のあゆみ』

難波駅中階ラッチ内。柵のようなものが見えますが、当時左側通路は改札外だったのでしょうか…?

 

 

2020年の同位置。エスカレーターであった部分はエレベーター専用のスペースとなり、エスカレーターは後ろ側に増設されています。

 

【今日の記念日】10月30日:御堂筋線心斎橋~なんば間開業

 

大国町

開業当時の大国町駅。当時から四つ橋線との接続が図られており、真ん中には留置スペースとして使われていたのか、既に線路が敷かれています。

全体的に柱が細めのH鋼で作られている他、第三軌条線にカバーがなくむき出しになっているなど、なかなかロックな駅です。

白熱灯だったせいなのか、照明数が少なくかなり暗めなのが気になります。

 

そんなロックだった大国町駅も、随分とおとなしくなりました。

難波と同様に元々あまり広いホームではありませんが、難波駅と違って利用者数はそこまで多くないことが救いですね(増設のしようがない)

 

動物園前

「天王寺公園前」「南霞町」と、命名候補が二転三転した動物園前駅。動物の絵があるのは昔からなんですね

同じ場所から。動物の絵は「動物のタイル」にグレードアップし、また2015年からは柱に動物の写真が貼付されるようになりました。

お尻を向いているのは、「奥方向に動物園がある」と視覚的にわかりやすくする為だそうです。

 

 

 

天王寺

最後は天王寺駅。当時から国鉄+3つの私鉄が乗り入れしていた南側のターミナル駅です。

駅の規模に対してだいぶ照明が少ない印象…、淀屋橋であった駅名標上の補助灯もなさそうですね。ドーム状の駅ではありませんが、大きく広い隧道スペースが取られ、3本の柱でそれを支えるスタイルとなっています。

 

現在の天王寺駅。照明が蛍光灯になったこともありますが、屋根角部分にも追設されて非常に明るくなりました。

ただ、あれだけ広々としていたスペースは階段工事が行われたせいで随分狭まり、窮屈な印象になりました。

それにしても、ホーム上の発車標(行先案内表示機)の場所が昔と今とで全然変わってないのがすごい。

 

 

総評

ということで、80年前と今との比較、いかがでしたでしょうか。

駅によって「昔のほうが良かった!」「今の方がカッコいい!」と千差万別だったと思います。

何よりあの時代に阪急の小林一三氏の反対を物ともせず、見事にこの御堂筋線の工事を断行した偉大な關一市長には、本当に頭が下がる思いです。

これからも中之島で、大阪を見守っていて下さいね。

 

 

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