先日、いつもお世話になっている黒田裕樹さんから、こんなリプライを頂きました。
それを言い出すのであれば、公営鉄道が私鉄他社の名前を駅名に採用することの方がよっぽど問題やと思います。すぐ近くに「海老江」という立派な地名がありながら、交差点の名前を採用するあたりが何とも…。
— 黒田裕樹 (@rocky96xp) May 8, 2017
確かに、公営地下鉄が他社の会社名を入れた駅名にするのは、ちょっと不思議な感じですね。
建設当時の価値観から見ても前代未聞のことだったようで、後に京都へ三条京阪駅ができていますが、それ以外に聞いたことがありません。
JR東西線がこの名を嫌って(+場所が海老江地域にあったこともあって)海老江駅としたほどですが、何故この名前に落ち着いたのでしょうか?
気になったので調べてみました。
野田阪神のはじまり
そもそも「野田阪神」という名の元となったのは、阪神電車が野田の地に鉄道を通したのがはじまりです。
現在でも本社があるほどで、阪神電鉄と野田は100年の歴史があるほどは切っても切れない関係になっています。
松下幸之助がこの地に近い大開に本社を置いていた頃から、阪神電車は走っていたのですね。
やがて、この地に大阪市電(路面電車)がやってきます。
「野田」と被る可能性
当時の大阪市電17系統が、現在の大阪環状線野田駅近くへ「野田電停」を作りました。
この電停と混同しないように、また都島区にある「東野田町」とも区別すべく、阪神野田駅前に作ったこの電停を「野田阪神電車前」電停として開業させました。
「野田電停」は先に出来ていた
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あわせて、都島区には既に「東野田町」があった
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野田電停から東にある電停なものの、都島と被る「東野田」の名前はつけれない
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だから「野田阪神電車前」とした
その後、地下鉄開業にともなって大阪市電は廃止されますが、駅名はそのまま引き継ぐことになり「野田阪神」駅として開業することとなったのです。
海老江は?
「東野田」が採用できないのなら、この近隣地名である「海老江」を採用すればよかったのではないか…と思うところですよね。
海老江を採用しなかった理由については、当時の事情を語る文献にその詳しい経緯が記されています。
地下鉄停留場の南半部は茶園町、北半部は海老江上一丁目にある。茶園町も海老江町もあまり市民に知られておらず、停留場の位置がはっきりしない。野田とすれば国鉄環状線の野田駅近くにあるものと思われ、都島区の東野田(注:京橋駅あたり)とも間違うおそれもある。
そこで一般市民に最も親しまれ、阪神電鉄利用客になじみ深い野田阪神とすることが最もわかりやすく、地下鉄の乗客誘致にも都合がよいということになりこれに定められた。(中略)
地下鉄の名称を野田阪神とすることは一寸奇異に感じられるが、市民にわかりやすく乗客に便利で市民が納得すればよいこと
岩村潔『大阪市地下鉄の歩み』626p,(市政新聞社,1970年)
海老江にしなかった理由は、「知名度がなかったから」、という理由だったんですね。
例え私鉄の社名を入れようとも、あくまで「大阪市民にとってわかりやすく納得されれば良いこと」が大事にされたという、大阪らしい合理的なエピソードで好感が持てる一件です。
【追記】阪神電鉄の広報誌さんに取り上げて頂きました!
当記事が阪神電鉄の広報誌「ホッと!HANSHIN」に取り上げて頂いています。詳しくは以下のリンクにて…!
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Photo,Writer : Series207 2017/5/15
Rewrite:2022/07/10