【コラム】大阪市営地下鉄最初の運転士は阪和線と銀座線で訓練を受けたという話

【コラム】大阪市営地下鉄最初の運転士は阪和線と銀座線で訓練を受けたという話

現在、2022年開業予定の宇都宮ライトレールが運転士や技術士を募っていますね。

もちろん大阪市営地下鉄でも一番最初というのはあったわけで、最初の採用時には自社線がないことからどこか違う路線に派遣されて実地訓練を受けることになります。

その最初は……いったいどこだったと思いますか?

 

運転士…阪和線と銀座線

運転士は応募者500名の中、20名が採用されたなかなかの難関でした。1933年(昭和8年)の1月7日に正式採用、同日より2ヶ月間、阪和電気鉄道に派遣されたのでした。

阪和電鉄というのは現在では存在しない企業名ですが、JR阪和線を保有していた京阪系の鉄道会社です。

同社は今でも伝説的な存在として語られる「超特急」を有し、こと高速列車の運行においては1、2を争う鉄道会社でした。この高速運転に慣れさせる狙いがあったものと思われます。

 

運転手は超特急の快速を有する路線運転の正確、乗客取扱に付き遺憾なき奉仕を発揮し、全市民の期待に反かざらしめんが為め、身体強壮、尚且相富の教養を有するものを採用

出典:岸本熊太郎(大阪市電気局運輸部長)「大阪市地下鐵 榮業案内」『大大阪 第9巻第5号』1933年5月

 

追記

速度が理由ではなく、車両の構造が同じ(AMUブレーキ・東洋ES制御器搭載)だったから…という説ではないかというお話もあるようです。

 

また阪和電鉄での訓練後、3月15日から1ヶ月間で今度は東京地下鉄(今の東京メトロ銀座線)・鉄道省線(今のJR)に派遣し、地下線内などでの実地訓練も受けることとなったのでした。

 

車掌…阪急電鉄

車掌も20名を採用。1933年(昭和8年)3月15日から1ヶ月間、阪急電鉄に派遣して実地訓練を受けさせています。

 

信号手…京阪電鉄

信号手は8名を採用。現在ではすべて自動化されているのであまり聞きれなれませんが、今で言うところの輸送指令あたりになるでしょうか。京阪電鉄に派遣して実地訓練を受けさせています。

 

出札・改札員…なし

淀屋橋出張所検車場(大阪市地下鉄の歩み,岩村潔 著 より)

 

今でいう駅員さんのことです。男子32名・女子24名を1933年(昭和8年)3月21日に採用しました。意外にもこの当時としては珍しく女性が採用されていたようです。

出札員に関しては他鉄道に派遣はされず、自社オフィス内にて事前訓練が行われたようです。

 

 

これら全ての管理機能・および車庫機能は淀屋橋駅に置き、運輸事務・遺留品・事故に関する事務や乗務員の所属事務所など全てをまとめていたようです。

淀屋橋にあった車庫については、以下のリンクにまとめていますのでこちらも御覧下さい。

 

【コラム】戦前の御堂筋線を支え、ひっそりと消えていった検車場達

 

参考文献

岸本熊太郎(大阪市電気局運輸部長)「大阪市地下鐵 榮業案内」『大大阪 第9巻第5号』1933年5月




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