大阪市交通局の民営化まであと2日となりました。
私自身、年度末ということもあるのか多忙になってきており、なかなか今の地下鉄の状況をゆっくり見れていませんが、TwitterやTetsudo.comなどの各種ネット媒体から皆さんの投稿を拝見させて頂いています。
地下鉄に乗れないのでせめて画像を…ということで、2つながりで2号線である谷町線をモデルとした記念画像をTwitterやインスタグラムへもアップしています。
さて民営化までの数日、時間が少ないながらも当サイトでも何か出来ないか…と考えた結果、大阪市営地下鉄としてのこれまでをサクッと振り返っていこうと考え、記事にしていっています。
先日は1954年までをご紹介しましたので、今日は1945年までを振り返っていきます。
1954年~1945年の大阪市営地下鉄
御堂筋線延伸
戦後すぐのタイミングでも、御堂筋線は延伸に力を入れており、この時期でも昭和町・西田辺までが相次いで開業しているのは特筆すべきポイントではないでしょうか。
戦後の資材不足で地下鉄なのに天井に蓋がなされず、駅以外の区間は青空を見ながら走っていました。
復興計画立案
昭和21年、そして国をも巻き込んだ昭和22年の路線計画案『大阪市高速鐵道計量案概要』において、今後の大阪市営地下鉄の建設目標が記されました。
一部に修正を加えられつつも、現在の地下鉄路線網の基礎がもうこの時期にはできあがっていたのです。
車両の動き
戦後すぐということもあってこの頃はあまり車両の動きがなく、延伸用に500形や1000形などの旧車が何両かデビューしたに留まります。
いかがでしたでしょうか。いよいよ大阪市交通局としての最終日を迎える明日は、1944年~開業の1933年頃をお伝えします。
Photo,Writer : Osaka-Subway.com 2018/3/27