上方(かみがた)演芸といえば、古くは桂春団治氏のような落語家から、最近ではダウンタウンなどの芸人まで、大阪・京都を発祥とする落語・漫才といった演芸のことです。
有名な「なんばグランド花月」の向かい側には「大阪府立 上方演芸資料館(ワッハ上方)」という資料館があるのですが、ただでさえうるさい看板が立ち並ぶこの界隈において全然目立っておらず、知らない方も多いのではないでしょうか。
地図で出すとこのあたりになります。
今回、私も初めて足を運んでみました。
パネルがお出迎え
エレベーターに乗って7階へ行くと、青いゲートが特徴の上方演芸資料館に到着。中に入ってみましょう
ズラッと並んだ上方演芸の歴史をたどる大型パネル。その歴史は1688年からスタートしています。
上方演芸って333年もの歴史がある、素晴らしい伝統なんですねぇ。
上方演芸の起こりは元禄時代にまで遡ります。京都落語・大阪落語の2大落語家がこの時期に大活躍したのだそうです。
1897年前後。上方漫才の中興の祖と言われる「玉子屋円辰」という方が登場。
古典芸能だった「萬歳」を現在の「漫才」に仕立て直した、いわば漫才の近代化を図った偉大な方です。
円辰という名は、体が大きく「煙突」と名前がついていたことにちなんだそう。
その後、かの有名な「花菱アチャコ・横山エンタツ」コンビが登場します。現在に連なる「しゃべくり漫才」を発明した、こちらも偉大な二人。
今の漫才はダウンタウンが生んだ「コント漫才」と呼ばれるジャンルが主流ですが、1980年代までのスタンダードは「しゃべくり漫才」でした。
コント漫才・しゃべくり漫才の違い
現在主流のコント漫才とは、漫才中に別人を演じたり何かを再現したりして「ある役」になりきって話をすすめるスタイルのこと。中川家の鉄道ネタなどはコント漫才になります。
一方しゃべくり漫才とは、役には入らず本人が本人のまま、身近な人を題材に持ってきて話をすすめるスタイルのこと。ミキやブラックマヨネーズなどはしゃべくり漫才が多い傾向があります。
1930年。伝説の落語家「桂春団治」が登場。「芸人は遊んでなんぼ」という天才芸人の系譜は、彼に倣った・憧れた後輩芸人へと受け継がれていきます。
彼は当時所属の吉本興業から禁止されていたラジオに出演して大盛況。それを見た吉本は考えを改め、積極的にメディアへ進出させていくことになりました。
1959年から始まったのが吉本新喜劇。1970年には岡八郎・花紀京を中心に人気となります。
土曜昼から何気なくやっている吉本新喜劇も、立派な上方演芸なのですね。
2001年にはM-1、2002年にはR-1グランプリが始まります。新喜劇~M-1の流れは、現在にも通じる上方演芸の演目になるのですね。
上方演芸資料館は「撮影OK」のお墨付き。
静かな資料館なのでシャッター音は控えめに、バシバシ撮影しちゃました。
「ようおこし」の説明や当時のポスターも
ようおこし!!ようおこしじゃないか!!
そう、「トイレのようおこしって何?」と日本中からツッコまれまくった、あの言葉の意味が掲載されていました。
ようおこしとは、「よくぞお越しくださいました」の大阪言葉なのです!
上方演芸資料館では、大阪弁の解説もありました。私ら現代の大阪人があまり使わなくなった大阪弁
あくまで「上方演芸」なので、吉本だけでなく松竹のポスターもありました。
ここに映っている藤山寛美さんも、先述した桂春団治の「遊んでなんぼ」精神を受け継いで盛大に遊び、また人気を得ていきました。横山やすし氏や、やしきたかじん氏もこの系譜になります。
「北の)雄二かミナミのまこと、東西南北藤山寛美」(梅田・北新地には南都雄二、難波・心斎橋には藤田まことが飲みに来るが、藤山寛美はどこでも現れる、の意味)なんて言われたそうです。
かしまし娘やダイマル・ラケット、名前は聞いたことがあっても初めて見る芸人ばかり…
「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」ってご存知でしょうか。
吉本新喜劇の歴史の転換点ともいえるこのイベントはポスターこそ楽しげですが、本当に吉本新喜劇そのものをやめてしまうかもしれない、絶体絶命のピンチでした。
劇場へ見に来るお客さんは減少の一途をたどっていた新喜劇は、挽回のための奇策としてこのキャンペーンを打ち出したのです。
期限までに観客動員数が目標値に達しなければ吉本新喜劇自体を廃止というセンセーショナルな「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始。この時に設定された目標観客動員数は1989年10月から1990年3月までの半年間で延べ18万人、1日平均に換算すると約1000人であり、当時のうめだ花月の座席定員から換算して70%近い平均稼働率(1日2回公演の場合)を上げなければ目標値に達しないという、非常に高いハードルであった。これにより、現場は緊張し、マスコミが取り上げ、関西地方を中心とした潜在的ファンの掘り起こしや、新喜劇になじみのない全国のファンに認知度を高めることにより、観客動員が増え、キャンペーン期間終了を目前に控えた1990年3月中旬、ついに観客動員数は目標数の「1989年10月から数えて延べ18万人」に達し、新喜劇は存続・復活を果たすこととなった。
出典:Wikipedia
この他、各種お笑いのDVD資料も豊富に取り揃えられていました。
もっとも、図書館のような試聴コーナーでの視聴になり、目の前には司書さんがいることもあって気軽に見るというよりは「資料としてみる」という感じで手に取りづらさはありましたが…
企画展示エリア
先程のパネル展示場の奥には、企画展示エリアと呼ばれる企画展・特別展を開催しているコーナーがあります。
そこにいくまでの道は江戸時代の芝居小屋を模したような通路となっていました。ちょっとテンションが上がりますね笑
ここにも当時のポスターが!間寛平さんお若い!!
企画展示エリアに入って目に飛び込んできたのは、思わず上がりたくなる寄席の高座!
実際に上がってもいいそうなのですが、この時は珍しく1人だったので撮影に徹していました…笑 2人で来たなら上がって撮り合いをしてもいいかもしれませんね。
モニタに出てくるM-1歴代ファイナリスト(2019/2020)と写真撮影が出来るようになっている、ちょっとハイテクな撮影スポット。
霜降り明星の二人もご覧のように登場していました。
まとめ
上方演芸資料館「ワッハ上方」、いかがでしたでしょうか。
資料館のロビーからはなんばグランド花月を見下ろせる風景が広がっています。
「大阪何回も来てるしたまには違うところにいきたいな…」なんて時には、是非ともこのワッハ上方に行ってみてくださいね。
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