大阪の中枢部である中之島には、御堂筋線を作り上げた関一(せき・はじめ)市長の銅像が建っています。
実は2020年5月に行ったものの、記事にしていなかったことに今更ながら気づき、慌てて今回記事に仕立てました。
モーニング姿
こちらが関市長像。モーニングコートを着てビシッと正装されていますね。
銅像下にはお決まりの解説像もあったので一部を読んでみましょう。
関市長顕彰碑
わが大阪市が戦後再建のことに力を致して
一意復興の手輪を加えつつゐるとき たまた
ま 故市長関一博士の二十周忌に?会し 往
事を追憶して敬慕の情やみがたし ここに記
念の像を建ててその偉業を顕彰し 遺徳を後
世に伝える栞といたします(中略)わが大阪が今日の大をなし得たのは 長い
歴史に培われた自由の精神と古い伝統に養わ
れた実践力行の美風によるものでありますが
また市民とこれを代表する市会の博士に対す
る信頼が市政の運営に不動の基盤を築いたこ
とを忘れてはなりません 大阪市民がその最
も必要とする時期において学徳ともに優れた
関市長を得たことは われわれの喜びとして
永久に銘記すべきであろうと思います故大阪市長関一博士遺徳顕彰会
建立 昭和31年 6月
大阪地下鉄を作り上げた功労者
こちらが実際の関市長。
大阪市の第7代市長で、先代の池上市長の方針を受け継ぎ、御堂筋(道路)や大阪市営地下鉄を作り上げた、地下鉄ファンにとっては足を向けて寝られない偉大な存在です。
都市工学においての専門家で、先代の池上市長からその腕を買われて大阪市に招聘され、100年先を見据えた地下鉄建設を行ってきました。
有名な話として、「将来の大阪に必要だから」と1両しか走っていない御堂筋線のホームをわざわざ10両対応(現代基準。当時の長さで12両)にする話がありますが、実はこれも緻密な計算によって導き出されたものです。
「過大投資が過ぎる」と後の駅(大国町など)では違う担当者によりホーム長が8両対応に削られたものの、50年経った1985年頃に「実はそれは本当に必要だった」とわかって頭を抱えたほどです。
そんな大阪地下鉄の父は今日も中之島公会堂を、そして大阪を見守っています。
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