大阪市交通局の民営化まであと3日となりました。
私自身、年度末ということもあるのか多忙になってきており、なかなか今の地下鉄の状況をゆっくり見れていませんが、TwitterやTetsudo.comなどの各種ネット媒体から皆さんの投稿を拝見させて頂いています。
地下鉄に乗れないのでせめて画像を…ということで、3つながりで3号線である中央線をモデルとした記念画像をTwitterやインスタグラムへもアップしています。
さて民営化までの数日、時間が少ないながらも当サイトでも何か出来ないか…と考えた結果、大阪市営地下鉄としてのこれまでをサクッと振り返っていこうと考え、記事にしていっています。
先日は1969年までをご紹介しましたので、今日は1955年までを振り返っていきます。
1969年~1955年の大阪市営地下鉄
堺筋線開業
万博直前の1969年、堺筋線が開業します。阪急電鉄が北千里まで延伸すると共に、堺筋線も万博輸送を担うこととなりました。
当初は阪急と南海の両者が直通に意欲を示し、阪急を狭軌化、南海を昇圧させることで両者ともを直通させることを考えますが、紆余曲折あって阪急電鉄に決定した経緯があります。詳しい顛末については以下のリンクに記載していますのでこちらへどうぞ。
中央線開業・延伸
東西の大動脈、中央線が開業したのもこの時期です。
この区間は、大阪市営地下鉄としては初めての地上区間として開業しました。大阪環状線との接続駅となる弁天町駅については、先に大阪環状線が開業していたことから高高架となっています。
大阪の中心地、船場の土地への愛着心から本町駅周辺の土地買収が間に合わず、本町駅は暫定的に現在の1番線側のみを用いた仮駅として開業しました。
四つ橋線延伸
四つ橋線の現在の路線網がほぼ出来上がったのはこの頃です。
当時、四つ橋線は御堂筋線と直通運転を行っていましたが輸送人員の増加が追いつかず、緊急整備路線として西梅田までを独自路線で建設することになったのです。
車両の動き
30系がデビューしたのがこの頃です。
1967年に谷町線へ投入された30系のプロトタイプであるステンレスの7000-8000形はシルバーカーと呼ばれ、従来塗装車両だけであった地下鉄のイメージを大きく変えました。
大阪万博輸送に向けて大量輸送の使命を帯びた御堂筋線向けに一挙に240両を投入、これまで使用されていた50系などの旧型車両を他線区へと追いやりました。
30系には上記のステンレスタイプと、このアルミタイプの二種類が存在します。
これは技術発展途上であったどちらのタイプを比較するためであり、また万博まで240両もの車両を緊急投入する必要性に迫られていたことから、アルミ・ステンレスのどちらも入札を可能とすることで、一挙に多数投入が可能に出来るように取り計らったのだそうです。
また、30系よりも一足先に登場したのが50系です。当時の車両はまだ1両単位での運用がベースでしたが、50系は2両編成をベースとしたユニット車として登場しました。
登場当初は「5000形」と呼ばれていて、現在の50系と呼ばれるようになったのは30系登場したあとです。
路線カラーが制定された後には、上のツートンカラーから白をベースに、それぞれの路線カラーを入れたデザインへと変更されました。
50系といえばこちらのカラーリングを思い出される方も多いのではないでしょうか。
いかがでしたでしょうか。開業まであと2日となる明日は、1954年~1945頃をお伝えします。
Photo,Writer : Osaka-Subway.com 2018/3/27