大阪市交通局の民営化まであと4日となりました。
私自身、年度末ということもあるのか多忙になってきており、なかなか今の地下鉄の状況をゆっくり見れていませんが、TwitterやTetsudo.comなどの各種ネット媒体から皆さんの投稿を拝見させて頂いています。
地下鉄に乗れないのでせめて画像を…ということで、4つながりで、4号線である中央線をモデルとした記念画像をTwitterやインスタグラムへもアップしています。
さて民営化までの数日、時間が少ないながらも当サイトでも何か出来ないか…と考えた結果、大阪市営地下鉄としてのこれまでをサクッと振り返っていこうと考え、記事にしていっています。
先日は1985年までをご紹介しましたので、今日は1970年までを振り返っていきます。
1984年~1970年の大阪市営地下鉄
ニュートラム開業
1981年、AGT(案内軌条式中量鉄道)であるニュートラムが開業しました。惜しくもポートライナーとはわずか1ヶ月差での開業で、もし計画が後少し早ければこちらが日本初のAGT路線となったかもしれません。
「南港ポートタウン計画」と呼ばれたこの地は、1950年代に産まれた世代の新たな住宅供給地として計画され、それに伴った公共交通機関として整備された経緯があります。
また、ニュートラム固有のフォントである丸っこいフォントの「ナール」は、「南港ポートタウン計画」における街づくりの共通フォントとして整備されているため、ニュートラムもいわばその街の一部であることを示すために採用されています。
御堂筋線江坂延伸・北大阪急行開業
1970年といえばなんといっても大阪万博!それにあわせて御堂筋線が江坂まで延伸され、北大阪急行があわせて万博までをつなぎました。
北大阪急行は関西財界と阪急電鉄が持ち株を保有する鉄道会社として設立された為、線内を走る「ポールスター号」は阪急色の栗色と、御堂筋線色の赤色を纏った車両になっています。
谷町線全線開業
谷町四丁目~東梅田間だけだった谷町線がこの頃になると一気に路線網を伸ばし、急行運転が計画されるほどの28.1kmの長大な路線となりました。
路線長が長く、かつ輸送人員が少ないからなのか、10系(但し実際には走らず)、新20系、そして30000系と、大阪市営地下鉄の新車投入はまず谷町線でテストされる傾向が多くあります。
千日前線全線開業
千日前線が全線開業を果たしたのもこの時期です。といっても当初構想では神崎川~JR平野までが計画されており、そこから比べるとずいぶん小さい路線網になってしまいました。
横の大動脈は現在中央線ですが、構想時はどちらかというとこの千日前線が大動脈となる予定であったのです。
車両の動き
チョッパ制御を用いた「省エネ車」10系がデビューしたのがこの頃です。
もともとは谷町線の急行運転用として開発されながらも、交通局内部(電気部と言われています)の反対でこの計画は頓挫しました。10系はこれまでの車両と違って初めて熱をあまり出さない車両なので、その変わりに地下トンネル内の熱量上昇が喫緊の課題になっていた御堂筋線用へと転用された経緯があります。
この当時、地下トンネル内に冷却用の川を作ることを真剣に考えるほど熱問題に悩まされていたので、10系の登場はまさに画期的なものだったのです。
いかがでしたでしょうか。開業まであと3日となる明日は、1969年~1955頃をお伝えします。
Photo,Writer : Osaka-Subway.com 2018/3/27