大阪市交通局としての運営も、今日で最終日となりました。
私自身、年度末ということもあるのか多忙になってきており、なかなか今の地下鉄の状況をゆっくり見れていませんが、TwitterやTetsudo.comなどの各種ネット媒体から皆さんの投稿を拝見させて頂いています。
地下鉄に乗れないのでせめて画像を…ということで、1つながりで1号線である御堂筋線をモデルとした記念画像をTwitterやインスタグラムへもアップしています。
さて民営化までの数日、時間が少ないながらも当サイトでも何か出来ないか…と考えた結果、大阪市営地下鉄としてのこれまでをサクッと振り返っていこうと考え、記事にしていっています。
先日は1945年までをご紹介しましたので、最終日の今日は開業の1933年までを振り返っていきます。
1944年~1933年の大阪市営地下鉄
御堂筋線開業
出典:http://finestable.exblog.jp/21665103/
なんといっても1933年は御堂筋線の開業です!心斎橋~梅田仮停留場までが開業しました、
「大大阪」の発展を見越し、運行車両は1両であったのにも関わらず、将来対応を考えた17m級車両で12両編成の車両が止まれるような駅構造でした。
後に過剰投資が過ぎるとして大国町以南は8両編成対応に縮小されますが、結局現在は18m級の10両編成の車両が行き交いしており、実に先見の明があったといえます。
また戦時中には、御堂筋線が空襲から逃げる避難民を救った…という話があります。こちらはNHKの朝ドラ「ごちそうさん」でも出てきた著名なシーンです
大阪市交通局の公式Youtubeチャンネルには、梅田駅や30000系車内などで流れている広告がアップロードされています。なかなか垢抜けて洗練された広告で、一見の価値ありです!是非どうぞ!
あわせて、長い間お世話になってきた公式Webサイト(http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/)も閉鎖になってしまうのでしょうか…
四つ橋線開業
地味ながら、1942年5月には四つ橋線も開業しています。その開業は2号線である谷町線よりも早かったのです。
当時は御堂筋線の支線扱いとして大国町~花園町を開業させました。戦時中で資材不足に悩む中、無筋アーチ式で地下鉄を建設できた技術力の高さは特筆すべきポイントではないでしょうか。
車両の動き
大阪市営地下鉄初の車両である100型が投入されました。電照式駅名表示板や現在も転落防止装置など、当時としては先進的かつ大型の車両が投入されました。
電車の搬入に牛が使われたのは有名な話ですが、それから平成の世…トレーラーに引っ張られ、80年ぶりに地上の御堂筋を見たのでした。その発展ぶりに100型も驚いたのではないでしょうか。
おわりに
この6日間、急ぎ足で大阪市営地下鉄を振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
明日からは、新たにOsaka Metroとして再スタートを切ることになります。
大阪市が100%株式を持つ形になる民営化ですが、それでも例えば随意契約が可能になり設備投資がやりやすくなるなどの恩恵も受けれるようになります。
これまでは大阪市営地下鉄ファンサイトとして運営してきたOsaka-Subway.comですが、明日からも引き続きOsaka Metroファンサイトとして運営してまいります。
新規改めOsaka-Metro.comとしての運営も考えましたが、商標関係に詳しい専門の方からアドバイスを受けたこともあり、引き続き現在の名前のままで運営してまいります。
これからもどうぞ宜しくお願いします。
2018.3.31 Osaka-Subway.com
Photo,Writer : Osaka-Subway.com 2018/3/31